文化祭、いいね1

いいね。文化祭。
一度もまともに関わったことがないから、なおさらそう思います。焼きそば焼いたり、たこ焼き作って何が面白いのかと思うけど、本人たちがとても楽しそうだからうらやましい。男女入り混じって呼び込みやったりして、焦がすと文句言われたり、「あの馬鹿、最低」とか罵ったりするんだろうな。

私の文化祭の思い出はおぼろげな幻のようなものだ。
高校のときのも文化祭一応毎年あったんじゃないかと思うんだけど、自分のクラスで何やったかまるで記憶にない。教師がこちらを無視していたから、こっちも無視してたのではないかな。
3年生のとき私は2組だった。数少ない女子のいるクラスで、本当は少し嬉しかったのだが、1日で馬鹿がばれていたので、ここでいくら格好をつけても無駄だとちゃんと理解していた。だから、私と同じたぐいの馬鹿の多い1組に授業以外のほとんどの時間出かけていた。
馬鹿は馬鹿を歓迎してくれるので、いごごちが良かったぜ。ありがとう、皆さん。

高校3年生のほんの一時期、2年生の女子と学校近くの地獄の坂道を上ったところにある戦場ヶ原という物騒な正式名称、別名忠霊塔、という広場に行ってよくお話をさせていただいた。
最近の東京の高校生のような、あからさまに手をつないだりするようなはしたないまねはしたことがない。何の話したんだっけね。上がってしまうと何にも思いつかないんで、小さな紙に話したいことを書いておいたような気がする。
「星の話」とか「朝刊太郎の話」だとか。ふふ。

だから、高校3年生のときの文化祭の一部だけはよく覚えている。
彼女は眉の濃い、可愛い顔をした人でちょっとリリー・コリンズに似ていた。1組の馬鹿どもにも人気があった。馬鹿どもは頭の構造に上手に出し物を合わせていて、おばけ屋敷を作った。
女子高からの訪問者目当てである。

私は黙って彼女とのお話し合いを続けていたので、1組の馬鹿どもは私たちがそんな関係だということなぞ何も知らない。
1組のおばけ屋敷に彼女を連れて行くと決めていた。驚愕の事実をおばけ屋敷で公開するのだと決めていた。
真っ暗ではないけど、どこの文化祭にでもあるようなガラクタで迷路を作り、コンニャクを吊るしたりしている極めて原始的なもので、誰が入ってきたかすぐわかる構造になっていた。私はドアを閉めると初めて彼女の手を握った。暗いからね、危ないでしょ。2、3歩歩いただけで絶叫が起きた。
私たちのではない。

「ウォー、何で大倉が○○と手をつないじょるんか」
君たち落ち着きたまえ。君たちが驚かす側だよ。驚いてどうする。ふふふ。
このおばけ屋敷をゆっくり進んで、手を握れる時間を長くしようと考えていたんだけど、馬鹿どもがゴリラのように騒いでいるので全然おばけ屋敷になっていない。
「なんでか」「なんでか」「大倉と○○じゃ」教室に異様なムードが漂う。
おばけ屋敷やりたまえよ。他のお客さんに失礼だろうが。

そんなことになってしまったので、長居ができなくなり、あっという間に外に出てしまった。
外に出たら手握ってらんないじゃん。
であるから、高3の文化祭で覚えているのはその場面だけである。
その場面だけきっと私は輝いていたな。

あれ、小さな講堂でバンドもやったな。
「大倉君、カッコイイ」って誰も言ってくれなかったから、すっかり忘れてた。

女子高の文化祭にも一度だけ行ったことがある。
このことは「岡部」という小説に書くので、出版されたら読んでね。
予定は全く未定です。
小説を諦めたら、ここに書くことにします。

写真展が終わってしまったので、この約10ヵ月間ヘロヘロに忙しかったのがすっかり暇になってしまった。ここは仏様が「小説を書きたまえ、一発当ててあげるから」とお命じになっているのだろう。そうしよう。面白いよ。

文化祭の話は大学時代に続きます。
しかし、本当にこれしか思い出せないってのは淋しい高校生活だったんだね。
55歳になって書いてみてしみじみと淋しくなった。

ここも戦場ヶ原の一部。ここじゃお話はしなかった。