ハロウィーンをどうしてくれよう

ハロウィーンである。
そんなに嬉しい?嬉しいんだったらいいんだけどさ。なんだかわかんないお祭りでしょ。

キリスト教が起源になっている祭りということになっているけど、ホントのホーントはケルトのお盆みたいなものざんすね。
死者の霊が家族を訪ねたり、ケルト独特の精霊や魔女が出てくると信じられていた精霊信仰の祭りでした。
それを何にでも首を突っ込んできて引っ掻き回すキリスト教宣教師たちが、キリスト教への改宗の手段として精霊を完全に否定はせず、うまいことすり替えてカトリックの諸聖人の前夜祭ということにしてしちゃったのでありました。
個人的には薄ら腹が立つね。
なので、これのどこがキリスト教だよ、と言いたくなるようなおかしな習慣が残っている。

聖人の日の前の晩に魔女になってみたり、お化けランタンを作ったり、「ハロウィーン」のような血みどろ映画が作られたりする。あれは関係ないのかしら。
可愛いものじゃないかといえばその通り。
ケルト人の精霊信仰には日本の八百万の神に似ているところもあり、素朴な自然信仰ともいえるので、私は大変好感を持っている。

しかし、本気で腹の立つことといえば、東京の不良外人どもが電車ジャックをして狼藉を働いたり、それに乗っかって一緒に騒乱を起こす馬鹿者もいることだ。もういない?
連中は「ハロウィーンなんだからそのくらいいいじゃないか」という100本くらいねじが飛んだような理屈で反論するらしいが、じゃ、ニューヨークの地下鉄で日本人のふんどしいっちょの男どもが、ご神体と称する木のかけらを押し合いへし合いしながら奪い合っていたら、どうなる?
拳銃を構えられても仕方あるまい。

さまざまな、もしかしたら大嫌いかもしれない文化もそこにあるということを受容することが、グロバール化した現在、人間にとって絶対必要条件であるが、わきまえも必要である。
他文化をリスペクトするという事である。
電車ジャックも日本では禁止。裸祭りもニューヨークではやっちゃダメ。

さて、本当に書きたかったのは”Trick or Treat”にまつわる心温まる話である。

アメリカに居たときにはハロウィーンに何をしていたかさっぱり思い出せない。
ということは、なにごともなく、ただ同僚と飲んでいたのかもしれない。
ただ、昨今、日本でも「ハッピー・ハロウィーン」とか声をかけているようだが、アメリカのハロウィーンはその100倍くらい度を越して手間かけるな、という印象がある。
ハロウィーン一色である。

日本じゃもうなんとなく「ハロウィーンだよ、うっしっし」って様子が見て取れるんだけど、どうなんのかね。

ロンドンであのアビーロード横断歩道の目の前のフラットに住んでいたが、当時そのネヴィル・コートという大きなアパートにいた日本人は私達夫婦だけだったと思う。
自宅では当たり前だが、日本語しか話さないし、全国から取り寄せて船便で送った各種そうめん、うどん、いりこ、かつおぶし、昆布がぎっしり詰まった押入れを見ては微笑んでいるという純日本式生活を送っていたので、ハロウィーンには全くといっていいほど興味がなかった。
そもそもケルトの祭りが原型だからかもしれないが、ケルト人の土地ではなかったロンドンではお化けかぼちゃは見かけたが、それで全員が浮かれているという雰囲気はなかった。
むしろ11月5日のガイ・フォークス・デイというこれまた不思議な花火の祭りのほうが盛り上がっていたように記憶している。
これについてはまたね。

そんなある年の10月31日、そいつらは突然やって来た。
その日がハロウィーンであることさえ忘れていた。
うどんかなんか食っていた時間に(当時、米は週一回くらいで主食は麺)ピンポーンと鳴った。
はて、面妖な。
こんな時間に。
隣とおかずを分け合うような仲でもないし。

ぞろりと並んでいた。
へんちくりんな格好をした、ガキどもが。
Trick or Treat”
何が嬉しいんだか大声で叫ぶ。
こっちは謎の東洋人なんだから、失敗したと思って逃げるかと思ったら、こちらの気持ちはお構いなしにニコニコ笑っている。
私は怒るときは怒るが、鬼ではない。
「ちょっと待て」
なんか甘いもんやっときゃいいんだろ、そこらにあるキャンディでも一掴み、と思って気が付いた。うちには甘いものは何もない。
なーんにもない。砂糖もない。砂糖を握らせる奴もいないと思うが。
何もなしじゃ、くさった卵を玄関に置かれると聞いたことがあるぜ。

お父さんとお母さんにワイン持って行くか?と妥協してもらうという案も浮かんだが、子供に酒渡して、逮捕でもされたらことである。
そうめん一輪ずつというのもないだろう。
いりこ食べる?食べねーな。
さんざん家の中駆け回って、ようやく子供が口に入れて問題ないものが見つかった。

お煎餅。
しょうゆ味の固焼き。

訴えられることはないだろうが、果たして食い物であることが理解できるかどうか。
しょうゆ、大丈夫かなあ。

他に選択の余地がないんだから仕方がない。
“Here you are.”
ごっそり持たせてやったら、満面の笑顔で階段を駆け上がっていった。
いいことをしたはずなのに、胸にしこりが残った。
あれ食ったかなあ、一口かじってみて、吐き出しちゃったかもな。

二度とあの東洋人のところには行かない、と決めたのか、それ以来10月31日に我が家の呼び鈴が鳴ることはなかった。
少し寂しかった。

イギリスの建物はみんな同じに見えて、最初数ヶ月間はよく道に迷います。