文化祭、いいね2

今日の話は前回のような甘い話じゃないから小さい子は読まないように、PG12です。

私は自分のいた大学の大学祭?学園祭って言うの?文化祭じゃないよね、そのたぐいのものに参加したことがない。所属していたまともなサークルがなかったからです。
一度だけどんなことやってるのか覗きにいったけど、ミスキャンパスがどうしたとか私とは全く無縁の華やかな世界を見せられても、ズーンと孤独感だけが増してきて、ちらーっと一回りしただけで帰っちゃった。どーにもなじめなかったあの学校。

私はまともなサークルには入っていなかったけど、まともでない集団に属していたことがある。暴走族ではない。
慶応大学キャバレー研究会、というのがありました。学校からも学生団体からも認められていない大学とは一切無縁の集団。最初は東洋史学科の一年上の人間に「大倉、ドラム叩けるんだって」と声をかけられた。そのうちインド哲学を一人で勉強するふりをしていることを話したりするようになりました。なんか、オウムの勧誘みたいでしょ。オウムじゃないんだな。

毎週、渋谷の同伴席もあった田園という小汚い喫茶店に行って、構造主義の勉強をする集団でした。
私、何のことだかさっぱりわかんなくてね。レヴィ・ストロースフーコーソシュールラカンなんかが話の脈絡なく登場してきて、こっちは御釈迦さんのこと勉強しているのにいきなりなんなんですか状態ですよ、もう。「何でキャバレー研究会なんですか」って聞くよ。聞くでしょ。キャバレーなんか一度も連れて行かれないんだから。「人間の快楽の本質を探るんだよ」とか言うの。
「大倉は最初は話がわからなくても、インドやってんだから大丈夫。すぐ溶け込めるから」
いやいやいやいや、全然溶け込めない。インドとフーコーってなんか関係あった?

それでもわからなさ聞きたさ、ってことあるでしょ。
通ったんだよ。
そしたら「キャバ研、ついにテレビ出演が決まった」ってことになってるのよ。
フーコーの話するのかと思ったら、インド服着て、おかしな踊り踊んの。このあたりはちょっとオウムっぽいね。
構造主義の実践だそうで、私も出ましたよ。端のほうで。
大学行くと誰がキャバ研のメンバーかわからないけど、体育会の学ラン着ている連中がスッゲー怒りまくってるのよ。これもよくわからない右翼サークルに入っている友人からは「大倉、すぐにやめたほうがえーぞ。殴られるど」と親切なんだか、脅しなんだかわからいこと言われましてな。往生しました。

確かに大学の校風に合わないことをやっていたのはその通りで、昼休みにはキャンパスの中に座り込み、何故かインドのチャンティングをやったりするのよ。「ハリクリシュナ」とかね。「ゴービンダ、ジャヤジャヤ、ゴパラ、ジャヤジャヤ」とかね。「身体でしか理解できないんだよ」ということだったね。今ならわかるんだけど。
そんなことと同時にバンドもやってたんだな、大人数バンドでラッパもいたし、とにかく迫力だけで押していくバンド。パーラメントのコピーが多いファンクバンド。「現地人」と名前をつけようとしたらしいんだけど、差別用語だから「現地の人々」になったということで、いろんなイベントに行くと「では、現地の人々です」って紹介されてね。特に恥ずかしくはないんだけど、お客さんは「何?」と思いますよ。本当は「現地人」であろうが、「現地の人々」であろうが差別用語なんだけど。

で、何故か慶応じゃあまりイベントやんなくて、早稲田に行くのよ。
最初は早稲田のキャンパスでチャンティングやるくらい。高校からの友人モトブーこと岸田が私に気が付いて目をむいて驚いていたけど、一言も声かけず、スーっといなくなっちゃったりして、「嫌われてんだよ、俺たちは」と私でもわかった。

バンドも何故か早稲田のサークルに混ぜてもらって早稲田祭で何度かやりました。
そうこうするうち、早稲田大学キャバレー研究会というのもできて、ちゃんと早稲田祭のとき中庭のようなところで演奏することが決まったのよ。親切な音楽サークルに混ぜてもらって。結果的には大変なご迷惑をおかけしたんだけど。

最初は知らなかったんだけど、キャバ研は「ゼロ次元」という前衛パフォーマンスアート集団の流れを汲んでいたのだよ。だからやたら裸になる。「ゼロ次元」は「なにを出しても、なにをしても可」という方々だったから、裸が多いのね。街頭裸。一時は「反社会的行為」とまで呼ばれながら週刊誌をにぎわせていたらしいから、とりあえず一本根性が入ってるわけです。

さて、キャバ研はストリーキングも実践しておりました。
私はそんな馬鹿馬鹿しいことには付き合えない、と申しますか、あちら様的には「大倉はまだ機が熟していない」ということで、見に行くこともしなかったんだけど、早稲田祭でなあ。

綿密な計画を立てて10曲くらいやるんだけど、途中5曲くらいやったところでだんだん大倉以外楽器をはずしていって、パンツ一丁になった。女性もいらっしゃいました。それでまた演奏を続けた後、いきなり演奏をやめて全員パンツ一枚で大隈銅像まで走った。大倉は一人残ってドラムを叩き続ける。ドラム叩きながら「今、キャバ研は旅に出ています。すぐに帰ってきますから、迎えてやってください」と怒鳴る。怒鳴んなきゃやってらんない。
このあたりまでは笑い声もあったし、どうなるんだろうと客も逃げなかった。

5分後くらいからか、遠くから悲鳴が聞こえ始めた。
とうとうやりやがった、俺は関係ないとは言わないが、なーんにも知らんふり。
連中は大隈銅像に到着すると一枚だけ身につけていたパンツを脱いだのである。
今の早稲田祭はどんな様子か知らないが、当時は全ての道はまともに人が歩けないほど混んでいた。
その中、彼らはパンツ一枚を片手で頭の上にかざし、振り回して帰ってくるのである。
あれは不思議だよ。どんなに道が混んでいようと、出エジプト記にあるように人の波が割れるんですよ。絶対に触られたくないと思うんでしょうね。かなり余裕のある広さの道ができる。

全員無事笑顔で戻ってきてパンツをはき、演奏を再開した。
さすがに客は引いてしまっているが、演奏を続けりゃまた集まるだろうという魂胆だったんだけど、そこに革マル登場。一応実行委員会になっているんでヘルメットやマスクはしてないし、鉄パイプも持ってないんだけど、すぐわかる。
拡声器で「キャバ研、すぐに演奏中止、演奏中止。やめないとここでの演奏今後一切させないよ」と威嚇する。威嚇じゃなくて本気だったので、場所を貸してくれたサークルに迷惑をかけちゃイカンと演奏やめました。革マルもさあ、どうなのそのあたりうまく対処できないもんかね。こっちは内ゲバやってんじゃないのにねえ。

誰かがすごく怒られたんだろうけど、キャバ研はそそくさと荷物まとめて逃げました。

私はそのあともバンドをしばらく続けていたが、ハプニングアートには向いていないことがしみじみわかり、フェイドアウトしてしまった。

しかし、早稲田祭ストリーキングやったのって「現地の人々」以外いないんじゃないかしら。
ギネスブックに載らないかね。

こんなこともないとはいえないから、文化祭は少し注意したほうがいいかもしれません。

バナーラスのダシャーシュワメードガート。ここは毎日が過激な祭りのようなとこ。