会田誠展:天才でごめんなさい

タダで見たかったわけじゃない。
どうしても早めに行って「見た?見たほうがいいよ」と威張りたかっただけなんだが、颯爽とチケット売り場に詰め寄り「会田誠展お願いします」と丁寧にチケットを求めたら、綺麗なお姉さんが顔をよじらせた。当惑している。どうして?下で何人もの方が「会田誠展」って手札持って呼び込んでたじゃん。声出してなかったけど、あれが会田誠流なんでしょ。

「すみません。今日はプレスのみの内覧で、一般の方は明日からなんです」
やばい。ここは恥ずかしがらず、一番気持ちのいい笑顔で「あれ、失敗しちゃったな。じゃ、また来ます」と去っていく場面だ。しかし、このためにはるばるいつも来ている六本木ヒルズまでやってきたんだから、なかなか気持ちが切り替えられない。「あー」っと顔に出てしまった。
ところが、お姉さんは全く動じない。動く気配なしだ。

「ちゃんと会期見て来いよ、バーカ」と思っていたのではなかろうか。足どり重くその場を後にした。本当のバーカだ。すっかり始まっていると思い込んでいた。
仕方ない、映画でも見るか。酒飲み始めるまであと5時間もある。
そこで頭がスパークした。

J−WAVEの編成ならプレス登録してるんじゃないか?
駄目もとで番組プロデューサーに電話してみた。
出ない。避けられてるな。きっと会田誠展に入れてくれと頼みに来ているんだと気が付いたに違いない。いい勘してるぜ。その通りだ。
映画見に行こうと決めてチケット売り場で声を上げる寸前に携帯が震えた。

「どもども」
「あー、宇治君?ごめんねー、忙しいところ」
「いえいえ」
「ありえない話なんだけどさ」
「なんですか」
「ありえない話なんだけど、会田誠展のプレス内覧会に入れたりしないよね」
「まじですか」
「いや、無理だってわかってんだけど、始まってると思って来ちゃったんだよ」
「いやいや、ぼくもたった今内覧会に行こうと思って席を立ったとこなんです。受付でどうにかなるんじゃないかな」
「まじですか」

聞いてみるもんだ。大企業はやっぱり強いな。私も大企業に入っていればよかった。
違う。優秀なプロデューサーのところに案内が来ていただけだ、と思うんだけど。

受付で見事にバリケードを突破し、中に入れた。
ありがとう。宇治君。このご恩は一生忘れません。
何かありましたら声を掛けてください。すぐに参上します。
仕事ください。

「天才でごめんなさい」と言われてもねえ。天才とは対極にいるコツコツ石を積み上げていくような苦労人の私にはなに考えてんだかわかんないんじゃないかしら、と若干の不安要素を抱えながらプレス発表会を覗いてみて、全てが理解できた。天才は天才にしか理解できないはずなんだけど、私が理解できちゃったよ。どうしよう。

会田誠さん、私より8歳年下の若造なんだけど、見ようによっちゃ私のほうが若いという人もいるんじゃないかな。ヒゲのせいだ。いいヒゲだ。こういうヒゲの人間とはすぐに分かり合える。
プレス発表ではマイクを向けられ困ったふりをして、のらりくらりしていたが、会場のとっ散らかった作品群の意味したり、意味しないところがするりと頭に入ってきた。
これが一貫して物を考えていないというふりをする芸術家だと思わせておいて、実はその底には深い闇を抱えていることを勝手にプレスに思わせる作戦だと思わせていながら、本当は話をしていることそのまんまで、まとめようとするほうがおかしい、という日頃の私のグータラ生活に通じるものを瞬時にして理解してしまった。

エログロナンセンス、一見シリアスに思えるもの、本気でシリアスになっているもの、ガラクタに見えるもの、全てがいとおしい。「ああ、全部私が作ったものならよかったのに」と本気で願ったが、「ひとつ私の名前にしてください」と会場で通りすがった時にお願いすることもはばかられるので黙っていた。

極めて高い技法を縦横に駆使しながら、「うまいでしょ」とそれを誇示しつつ、「それがどうした」という裏切りがどの作品にも垣間見れる。
「なぜこんなことを思いついたのかわかりません」「芸術は本質ではなく、表層だ」と堂々と作品に説明を加えながら、学生時代の「宇宙の全てを理解した」ことを表現するために制作したマンダラには、「これが自分の作品の原点である」てなことも言っている。

こんなに面白い作品展を初めて見た。
参ったね。
きっとまた来ちゃうよ。
作品についてここでは書きません。
自分の目で確かめてね。
3時間はかかるつもりで行ったほうがいいですよ。

http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto/index.html

私の「豊前田」という作品。