ヘブリディーズ諸島、ルイス島 その3

いよいよ地獄編である。

取り立ててこの絵を撮ろうというカンプなんてものはなかったのでロケハンで絵になりそうなところを見つくろっておいて、撮影の段でごつい男たちをあっちに置いたり、歩かせたり、集団で火を囲ませたり、と何の撮影だったかわからなくなるような香盤表なき香盤(撮影の段取り、役者の入り等)であった。

荒野があって、男たちさえいればいいじゃないか。
実に緩い。
しかし、この荒野は確かに行ったものでしかわからないので、そういう撮り方しかできなかった。
雪も霙も横殴りの強風も計算はしていなかったけど、ウェルカムである。
雪よ降れ、嵐となれ。
スコットランドの男たちは怯まない。
絵の方はそれでかまわないのだが、
こちらの身体がついていかない。
目だけを出す帽子を持っているのだが、それでは指示を出す声が届かない、聞こえないのでほとんどかぶっていられない。

馬鹿でかい素晴らしい岩を見つけて、その前に男たちを集合させ気勢を上げさせ、撮影を始めた。
しかし、車から出された男たちはやはり寒がる。
寒がられると絵になんないじゃないか。
「大倉!酒飲ませろ」
なるほど。一理あるな。
ウイスキーを一本持って行った。
「これで身体を温めて、元気出してくれや」と渡すと俄然みんな元気になる。
「よーし、大倉、はけろ」
カメラまで戻ると男たちはあっという間にボトルを回して空にしてしまってった。
「もうねえぞ、もう一本寄越せ」
「しょうがねえな。大倉、持って行け」
また走る。

そんなことを繰り返し、撮影を続けた。
とにかく寒い。
カメラマンは勢いのあるうちに撮りたいので早押しである。
それにアシスタントがフィルム交換に追いつかない。
「何やってんだよ。すぐに用意しとけよ」
「はい、すみません」
という状態なのだが、アシスタントは小声で私に愚痴をこぼす。
「精一杯やってんだけど、手がしびれて動かないんだよね」
わかる。
わかるが私は手袋をした手をポケットの奥深くから
引っ張り出し手袋も脱ぎ捨てて手伝う気にはならない。
こっちも一杯一杯なのである。
「大倉!酒が切れたぞ」
「大倉!笑わせろ」
「大倉!焚き火を作れ」
「大倉!脚立ないのか」
メチャ言うなよ。と泣いていたら
「大倉!飲みすぎて倒れた奴がいるぞ」
えー!それは困るね。
駆け寄って
“Are you alright?”
そのくらいしか言うこともないので、立ち上がれるよう手を貸しながらもそれを連発していたら「こいつ同じことしか言わねえぞ」と大笑いしやがる。
それにしても手を貸してやるといっても向こうのほうが倍くらい重いのである。
役に立っていないことはカメラマンからは一目瞭然である。
「大倉!ちゃんとさせろよ!」
先生方、お前らもやってみろよ。

場所を変えて男たちを強風の中、なんでもないという顔をさせて荒野の中を歩かせる。
「大倉!止まらせろ」
“Hold!”
「大倉!ゆっくり歩かせろ」
“Slowly move forward!”
「大倉!ばらけさせろ」
“Spread out!”
いかなる場合も私だけフルヴォリュームで叫び続ける。
声が枯れた。
ごつい男たちも「やんなっちゃたなもう」オーラを出し始めたので ロケ場所を変えることにした。

車の中で最年長のいい感じのおじいさんが怒り始めた。
「俺は第2次世界大戦中、日本軍の捕虜になってとんでもない思いをした」と杖でコーディネーターの使えない坊やを殴る。
ベロンベロンであるが、本人がそういうのだからそうなのだろう。
なんやかんや言ってなだめるのだが、聞く耳持たんし、
本日自分が何をしているのかもよくわかっていない様子なので爺さんはあきらめた。

その心配事からか、腹が冷えたのか、急におなかに差込が。
早い話、激しい便意が私を襲う。
周りはというと360度果てしない荒野。
小高い丘もない。
我慢かな?我慢できる状態はとうに超えたな。
車の中で粗相をすると先生たちにどんなお仕置きを受けるかわからない。
「すみません。車止めてください」
車は止まったが先生が怒る。
「何だよこんなとこで」
「うんこです」
一言叫んで荒野を走った。
メチャクチャ走ったが、遠くからゲラゲラ笑いながら声が掛かる。
「大倉!どこまで行っても同じだぞ。丸見え」
米粒くらいになれば何をやってるかわからないだろうと思っていたが、足場は最悪。我慢も限界。
どちら向きになるかで迷った。
顔を連中に向けるのか、ケツを向けるのか。
ケツを向けてやった。
ざまをみろ。
一息ついて戻るとみんなが和んでいる。
「大倉!普通、顔向けないか」
「俺の300ミリでケツ撮っといてやったから焼いてやるよ」
俺のうんこでこんなに喜んだか。プロデューサー冥利に尽きるな。

この後も大変だったのだが、もう面倒臭くなってしまった。
後は想像してください。
現場以外のことで、とてもこの場では書けないことがたくさんあった。

1日先にロンドンから先生方を日本に送り出した後、私は丸1日ホテルで寝ていた。

今でもこのときの大御所アートディレクターとお会いすることがある。
「大倉、お前、ルイス島の荒野でクソしたよな、な」
と挨拶代わりに声をかけてくれる。
30年もたってんだ。いい加減に忘れろよ。

こんなところもありました。