年末焚き火

晦日をどう過ごすべきなのかよくわからないが、昔は「レコード大賞」を見て「紅白歌合戦」へどのテレビ局でも同じようなことを言っていて、それが日本国民の義務のようなことになっておったよ。
おかしな世の中だったな。

私は高校のころは父親とギクシャクどころじゃなく、まともに挨拶をしたことがないくらい関係が悪く、家族団欒なんてことを考えたこともなかった。多分父親もそうだったんじゃないかと思われる。
そんなこともあり、高1か高2の大晦日に友人と年を越すことになった。
異性の方で私たちに興味のある人はいなかったので、男だけでございます。

バンドメンバーの森、稲永、津田来たかなー、それにいつも一緒に行動していたフォークデュオ(といっても最初は「あのねのね」のコピーをやっていてフォークだかなんだか。しばらくして楽器を持ち替え、本気でカントリーやロカビリーを始めた)の宮城と森本、計5人か6人。下関の大学町にある権現山というどうにもこうにも中途半端な公園でのことである。

そこで夜通しギターをかき鳴らし、歌い続けるという青春時代のやり場のないはけ口を誰もいない公園で発散するとかそんなことでは全然なくて、とにかくだらだらするということである。
もう少しすることがあるだろうといわれればその通りなんだが、そんなことが楽しいこともあるんだよ。
チャリンコで夜の大学町周辺をぶっ飛ばしつつ、徹夜の場所に向かう。
自動販売機で酒を買ったような気もするが、それで酒盛りということでもない。

何をするのか、それが問題であるが、決まっていた。
焚き火です。

毎週末集まってはつまらんことをしていた。最後は権現山が基本。そこに権現山公園が公園であることの証のように何を見るべきなのかわからない展望台があった。
権現山といっても山じゃないよ、丘ですよ。空は見えたな。空は上を向けばどこでも見れるんだけど。その無理やり作った展望台の下にポコッと空間ができていた。雨露凌げる偶然できてしまった人工空間である。
若いとみんな火遊びが好きでしょ。
下関では異性との火遊びなんてことはありえなかったので、本物の火遊び。
乾燥した木の枝を拾ってきて、揺らめく炎を見ながら、「俺たちは高校でデビューする」とか好き放題言ってやったぜ。みんなその時は本気になれる。炎は魔術みたいなもんだ。
いや、普段から本気は本気だったんだけど、炎を見ていると確信に変わる。

「コンサートの時はポールの『ダンダンドゥイ、イェー、ダンダンドゥイ』から始めるとカッコえーど」
「オリジナルやないやん」
「コンサートやけー」
「コンサートの頭に人の曲歌うんかね」

等々、楽しい会話が弾みます。

火の後始末はきちんとしなきゃね。
みんなで小便かけてきちんと消していました。

あの年の大晦日は焚き火で燃えるような枝がなかなか集まらなかった。
徹夜なんだから、大量の枯れ枝が必要なんだけど、さんざん焚き火を繰り返していたから残ってない。公園中、丘の斜面までくまなく探して少々は集まったが全然足らない。

「すごいん見つけたどー」
と叫んだのは森本か宮城だったような気がする。
行ってみると、馬鹿でかい木の根が転がっている。
晦日にふさわしい豪快な炎の祭だ。
全員でどうにか引きずって展望台下まで運んだ。
冷え込んできてハイライトに木の根に火をつけることにした。
新聞紙に何枚も火をつけ、枯れ枝を下にくべ、丹念に木の根に火が回るよう工夫したが、さっぱり火がつかない。木の根は乾燥していないから燃えにくいのである。

時間だけはあるんで、楽しい会話どころじゃなくて、とにかく木の根に火をつけることが目的となった。
努力は報われるもので、ようやく火が移ったかと思ったら、凄まじい黒煙も同時に出現した。
しかし、バカは自分がバカであることに気が付かない。
火がついたことだけ喜んだ。
黒煙は半端じゃなくて目が開けられないほどである。それでも風になびく煙を避けながら大晦日祭を続けていたが、段々心配になってきた。
これは火事だと思われるんじゃなかろうか。
「消防車来たらどうするかね」
「火が全然見えんのやど、来るわけないやろうが」
「この煙は普通やないど」
「暗ーて見えるわけなかろーが」
「一理ある」
相変わらず火の勢いは弱い。
新聞紙を加えると、さらに黒煙だけが立ち上る。

あの時公園に他の人間がいたら間違いなく「火事だ」と通報されていたはずである。
近所の人はあの煙、なんとも言えぬ臭いに気がつかなかったのだろうか。
消防車も救急車も警察も来なかった。

いつものように小便をかけ、火が完全に消えたことを確認して帰宅した。
帰ると自分が異様な臭いを発していることに気が付いた。
木の根はそのまま燃やしてはいけないよ。
乾燥してないし、油が抜けてないんだよ。

臭い身体を洗ってベッドに入ったが、しばらく消防車が権現山に急行しているんじゃないかと心配で寝付けなかった。

そんな時代もあったという話です。

数ヵ月後、現場に行ってみたら、他の連中が焚き火を始めていることに気がつき、もう俺たちの焚き火時代は終わったことを知り、二度と同じところで炎を眺めることはなかった。

皆様、良いお年を。

これは下関、生野神社の1月1日12時ちょっと過ぎの様子。