実は年末ジャンボで6億円ゲットしたぜ

という奴らが世の中に60人くらいいて、この時期、これまで誰にも言わず黙ってたんだけど「もう我慢できない」と友人に漏らし始めるんじゃなかろうか。「黙ってな」と助言されても、人間はいいこと、悪いこと、大事なことは絶対に話してしまう動物である。人間以外の動物は話さないから黙っているだけだな。
「絶対誰にも言うなよ」
「他の誰に言うんだ」
というのがこの手の会話の始まりであるが、聞いたほうは聞いた瞬間に、あいつとあいつに話そうと考えているのだから、暗黙の了解事項である。
話す方も「少しならいいよ」と思っている。

しかし、これまで私のところにジャンボが当たったと告白してきた人間はいない。
苦しいだろうな。
あるいは友人にはそういう稀有な経験をしたことがない連中しかいないのだろうか。

イギリスではロトが私のいた90年代に始まり、国中上げて大騒ぎになった。
毎週当選者が出る仕組みになっている。大体あの頃のレートで3、4億円だったか。たいしたことないと思うでしょ、ところがわずか6つの数字を当てるだけなのに当たらない。当たらないと翌週に持ち越しとなる。そういうことが何週間も続くことがある。賞金が30億円を超えることがたまに出てくる。そうなるとロト売り場のあるミニコンビニのような場所には行列ができる。さらに賞金がドンと加算されるのである。
私も買った。1ポンド1くじで5くじ買った。
当たらない。
いいんだ。
夢を買っていたんだから。
毎日泳いでいたが、泳いでいる間は退屈なんで当たったらどうしようということだけ考えていた。
幸せな日々。

で、まあ、当たる奴がいるわけだ。
ここからがイギリスの謎だ。
「当たった人間が名乗り出たら1000ポンドあげる」とタブロイド紙が告知を出すとホイホイ名乗り出るのである。1000ポンドはぼんやり浮かんできた数字だが、いずれにせよ日本円にしてもわずか数十万円のことである。
30億円から40億円の金を手にしている人間が、数十万円でシャンパン抜いて満面の笑顔でグビグビやっている写真を普通撮らせるかね。名乗らない人間もいたようだが、大体シャンパン抜いてたな。

「あ〜あ、どうしてそんな」と私は嘆いたが、本人が喜んでんだからしょうがない。
そういう人のその後については私は知らないが、あらゆる慈善団体、ボランティア団体、友人、親戚、急に親戚になった人、全く知らない人が押し寄せたことは想像に難くない。
幸せに暮らしているかしら。

そんなことを思い出していたら、アメリカじゃわずか9000万円弱の宝くじを当てて毒殺されたおじさんのニュースが流れてましたね。日本じゃ換金所でおばさんが当たってませんでした詐欺で捕まってたな。宝くじ、ろくなことねーな。

有楽町の宝くじ売り場1番でしたか、「よく当たる」ととんでもない行列ができるとこ。
私はあの行列を見ると「当たらないな」という気がして買う気がうせてしまうのだが、一度不思議な光景に出くわしたことがある。

もしかしたらジャンボの時は毎回出現しているのかもしれないが、おじさんが椅子と机を出して「私はジャンボが当たりました」というようなPOPを派手に掲げて、証拠写真みたいなものも机に並べている。
どうするんだろうと眺めていたら、宝くじを買った人がその束をおじさんのところに持っていっておじさんに渡している。おじさんはそれを机の上の何かに擦り付けてそのまま返している。
どうも宝くじの生き神様のようである。
生き神様に運を分けてもらっている、といいますか、生き神様が運を分けてあげている。

しかし、あれだけの数の方々に運を分けてあげるとみんな平等になっちゃって、当たんないんじゃないかと心配したが、鰯の頭ということもあるのだ。私が横から余計なことを言う筋合いのものではない。
やっぱりカメラは常に持ち歩かんとイカンね。

お金に対する欲望があんなに無防備にさらけ出されることなんて、宝くじくらいじゃなかろうか。
何にもしないで「お金が天から降ってきますように」って光景はなかなかないよ。
ギャンブルとは少し様子が違う気がする。

ということで、そろそろ「当たったんだよーおーおーおー」と叫びたくなった皆さんは私のところにいらっしゃい。
絶対に黙っていてあげるから30万円くらいください。

何をお願いしているのかわからないが、とても長いこと真剣に手を合わせていらっしゃった。
香港。