鏡開き

でかい餅を割る日だそうで、おめでとうございます。
今スーパーで売っている、プラスチックの子供のおもちゃみたいなおかしなものじゃ、鏡開きも何もあったもんじゃない。あの場合は下から餅を取り出して、上の白いうんこのような物を捨てることを言うのかしら。

幼い頃はどうしていたんだろう。
本物のでかい餅が飾られていた、というか、私がその係りをやらされていたので、間違いなくその習慣はありました。あれ餅の間の挟む葉っぱは裏返しにしなきゃいけないんだよ。知ってたかな。
ところが鏡開きの記憶が儚げである。夢の記憶のようにぼんやりしている。

本来ぜんざい、汁粉に入れたり、揚げてあられ餅にしたりして「おいしいね」といただくと書いてあるんだけど、どうしたかな。なんとなく割れない餅を必死でトンカチで叩いたような気もするんだけど。
母親、妹から「ボケた」とまたクレームが来そうで怖い。

現在私は甘いものを一切食さないので、ぜんざい、汁粉と言われても全く心が動かないのだが、実は大学1年の時にぜんざいを大量に作ったことがある。
東京に来て間もない頃、今は下関に帰って仕事をしながら畑仕事に精を出している東の元住吉のアパートに行き、一晩飲み明かした翌朝、「なに食べるかね」という、誰も何もしたくないんで、他人事のように全員がつぶやいていた時にミキちゃんが「わしはぜんざいが食いたい」と言い始めたのである。
ミキちゃん、なんであんたはあの時ぜんざいが食べたくなったんかね。

私はまめに自炊なんかするほうじゃないのに、おでん食いたいといわれるとおでんを作る、とかいうことが決して嫌いではなく、チャッチャと買い物をして、馬鹿でかい鍋ふたつに山盛りでおでんを作ったりしていた。
チャンポンも作って金取ってたし。

そういう流れがあるもんだから「いも、作ってーね」ということになる。
「いも」というのは私のことね。このブログのどこかに書いてあるんで探し当ててください。
すると俄然張り切る私である。
しかし、ぜんざいの作り方なんか全く知らない。小豆を大量の水で煮て、砂糖ぶち込んで、塩を加える。「餅も入れてーね」というリクエストにも答えよう。と、当時ネットなんてものはこの世に存在してないのだから、勝手な想像でぜんざいを作ってみた。
驚いたね。私のクリエイティビティに。

全員「うまい、うまい」の大合唱で、「いも、また作って」ということになった。
確かに自分で食べてもうまい。戦後の砂糖不足の時代のガキのようでもあったが、喜ばれると嬉しい。

そのぜんざいは鏡開きとは全く関係ない時期に作ったので、あまりここで書く意味はないのだが、ね、ちょっといい話じゃないすか。

それ以来、ぜんざいを作ったことも食べたこともないのだが、あのときのおいしさと褒められた嬉しさは忘れられないです。
意外にこの話はみんな覚えているようで、「食った食った」と大笑いするが、「いも、あの時はありがとう」の一言がないのが淋しい。

確かこれはフィレンツェウフィツィ美術館にある像だが、お腹のところが餅に見えて笑いました。
ウフィツィじゃなかったらごめんなさい。20年以上も前のことなもんで。