フランスとアルジェリア
ロンドンにいた頃、パリは近くて遠い都市で頻繁に出張する場所ではなかったが、それでも年に何回かパリに行くと、「何と明るくて、色に溢れた粋な街だろう」と羨ましくて仕方がなかった。
何しろロンドンが暗いもので。
フランスはグチャグチャの革命を経てきたにもかかわらず、第2次世界大戦では早々にヒトラーにパリをあけ渡し、ヴィシー政権はナチスに寄り添っていた。
フランスは多くの哲学者を生み、血なまぐさい国歌を歌いながらも、労働者保護に非常に手厚く、ほとんど社会主義国といってもおかしくない政策で現在もその存在感は大きい。
しかし、その自由、平等、博愛のフランスも一旦植民地、侵略地から得られるうまみを覚えると普通の神経ではいられなかった。
日本の敗戦後すぐにインドシナに再び展開し、インドシナ戦争を引き起こし、1954年のディエンビエンフーの戦いで敗北し、1956年に完全撤退するまで、アジアでの植民地確保の戦争を続けていた。
アメリカはその後を引き継ぐ形でベトナムの泥沼に両足を突っ込むことになる。
ここまでは日本の教科書にかろうじて掲載されていることであるが、同時期にアルジェリアで出鱈目をやっていたことは日本ではあまり知られていない。
フランスは1830年にアルジェリアを支配下におさめ、内地化を進めていた。
誤解を承知の上で言えば日本の朝鮮併合、満州国独立政策に似ている。
アルジェリアを内地化するということは、北アフリカ支配を確固たるものにするということである。モロッコ、チュニジアはその流れの中で支配下に置かれることになった。
アルジェリアは内地化されたということになっていても、アルジェリア人に対する差別は当然あるわけで、第2次世界大戦で彼らはいいように使われ、インドシナにも派遣され、第一線で戦った。
挙句の果てが1954年から始まったアルジェリア戦争である。
この戦争は基本的には独立戦争であり、アルジェリア民族解放戦線(FLN)とフランスの戦いであるが、フランス軍にもアルジェリア人は組み込まれ、最後には日本の関東軍にも似た現地フランス人による秘密軍事組織(OAS)も戦いに入ってきて三つ巴のひどい状況であった。
結局62年にアルジェリアの独立を認める形で終結したが、この戦争について我々はあまりにも知らなすぎる。
理由がある。
フランス政府が1999年まで「アルジェリア戦争」を認めてこなかったからである。
マスコミも鈍感であった。
今回の事件が起こって盛んに90年代テロの時代について解説がされるようになったが、当時はアルジェリアではイスラム過激派によるテロが頻発しており、外国人はもとよりアルジェリア人も毎日のように多数テロにあっており、アルジェリアの治安悪化に気をとられていて、その原因と言えなくもないアルジェリア支配とその終焉、アルジェリア戦争のフランス政府認定にまで気が回らなかったのである。
今でもそのことに関する報道はほとんどない。
「アルジェリアのイスラム過激派により悲惨なテロが繰り返された」というところまでで終わり。
フランスが今回マリの反政府組織、イスラム過激派を叩いたことが原因で事件が起こったとステレオタイプの報道がされており、アルジェリア政府の対応については非難轟々であるが、全く必要のない実名報道にメディアは血眼になるより、その元の「何故」について是非取り上げていただきたい。
「いのちの戦場」という映画がある。
2007年に制作されたこの映画は、1959年、まさにフランス軍とFNLが壮絶な戦いを繰り返していた時の状況を描いている。それは驚くほどインドシナでの泥沼戦争、イラク、アフガニスタンでの戦争に酷似している。
また、特にアルジェリアの状況について書かれた本ではないが、現在のムスリム・アラブ圏の状況について知りたい方は下記の本が参考になると思う。
「脱植民地国家の現在」アルベール・メンミ
脱植民地国家の現在―ムスリム・アラブ圏を中心に (りぶらりあ選書)
- 作者: アルベールメンミ,Albert Memmi,菊地昌実,白井成雄
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 単行本
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- 作者: カミュ,Albert Camus,大久保敏彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/10/29
- メディア: 文庫
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