1000歳まで生きる

鶴の寿命ではない。
真面目に「人間は1000歳を超えて生き続けるようになる」と主張している学者がいると日経に出ていた。少し困った方なのかと思ったら、イギリスのオーブリー・デグレイという科学者なのだそうだ。

デグレイさんは医者ではない。もともとインターネットの専門家。
「人体も一種のコンピューター。故障原因を探り、対策を練るのは当たり前」とおっしゃる。それくらい私にでもわかる。お医者さんだってそうしてるじゃん、なんだが、その先が違う。
「人の身体がコンピューターならプログラムに相当するのが遺伝子」
これもわかる。わかってないが、言いたいことはわかる。
で、このプログラムを解読し、書き換える「ハッキング」で新しい治療法を見つけようという研究が最近注目されていて、研究機関に属さない「バイオハッカー」と呼ばれる若者たちが主たる担い手らしい。

うげげげ、本当に真面目そうじゃん。
「老化の治療法」を開発して、「定期的なメインテナンスで20代の肉体を維持していく未来を思い描いている」そうだ。

ビル・ゲイツまで「今、10代なら生命をハッキングしている」と公言しているらしい。この発言は老化防止と関係ないかもしれないが、何らかの病気治療のためのことを言っているんでしょう。

iPS細胞がこれからどういう働きをするのかわからないが、1000歳まで生きようぜ、ということならちょっと考えさせて。

これは「死なないようにしよう」ということなのか「できるだけたくさん生きよう」ということなのか本音がわからないのだが、これは本当にいいことでしょうか。
もしそんなことが実現されてしまうと「死」は私たちの「生」と全く違う次元の話になってしまう。
今ですら我々は死が生の延長上にある、避けがたい事実だということを忘れようとしているというのに、そんなことになったら人間は「死に向かう存在」ではなくなってしまう。

死がそこにあるから宗教が存在している。
哲学や倫理も死を意識したところから始まったはずだ。

私は老いることを日々意識しながら生きることをみずみずしく感じている。
親しい人の死は悲しい。立ち直るには時間が必要だ。
しかし、だからといって「死にたくない」とは思わない。
いつかは死ぬんだということを自覚しながら生きていたい。

死を忌み嫌っていては、生を謳歌できない。
「1000年超えて生きる」という発想は面白いかもしれないが、ヴァンパイアじゃないんだからさ。
ヴァンパイアだってもうそろそろ死にたいって思ってるんじゃないかね。

どうなの、私間違ってますかね。
歳取るごとに「ほほう、こんなことになってきたよ」って結構楽しんでいるんだけど、これおかしいですか。
超長生きしたい人はそうしてもいいんだけど、そうなると生と死の概念が崩れていってしまい、何か悪いことが起きるんじゃなかろうか、と危惧いたします。
万が一そんな技術が可能になったとしてもそのときは私は間違いなく死んでるんだけど。

死のない世界に祈りは存在するんだろうか。
ヤンゴンミャンマー