ポールが来る

私は解散して以来、ビートルズには興味がなかった。というのは大嘘で最後に発売されたシングル「LET IT BE」を小学校の頃に聞いて、それから今に至るまで基本的にはビートルズ一本。というのも嘘で、ビートルズのカバーアルバムそれぞれのメンバーのアルバムはすべて持っているが、それだけってことはないだろう。

中学校のときに作ったバンドは、ブルースとビートルズコピーバンド。おかしな組み合わせに聞こえるが、よく考えればそれほど不思議でもない。

高校に入ってからはベースを担当していた森がものすごい勢いでビートルズの曲想に似たオリジナルを作り始めた。
これはまずい。俺も何か作らないと売れてしまったときに著作権はすべてやつのものになるので、金が入らんぞ、と言うほどの知識もないんで、かっこ悪いから俺も一緒に、ということで、Toshiyasu & Shinichiroというクレジットで100曲以上のオリジナルを持つバンドに成長した。
それを自宅の応接間を勝手に改造した恒久的スタジオで学業には目もくれず、毎日籠って多重録音で仕上げていっていた。

成長しても認めてもらえない限り、田舎の高校生ということに何の変化もないんで、レコード会社にどんどんデモテープを送りつけた。何通か「もう少し音合わせろ」とかいう手紙をもらったが、東京に来いとは言わないもんだ。
言われていたら今頃豪邸に住んでるか、アルバイトで腰を痛めているか、どちらかだ。

これこんなところで書いていいものかどうかわからないが、あの当時は東芝EMIにいた石坂敬一さんだけが森のところに電話をくれた。内容は「もう少し待って」的なことだったと思うが、決して否定的なニュアンスじゃなかったんじゃないかしら。
で、まあ、豪邸に住むこともなく暮らしているわけだから、そういうことよ。
これからデビューしてもかまわんのだけどね。

さて、就職した年にポールが来日するなり大麻所持で逮捕されて、どうなっちゃってんだろ、と頭をひねったきりウィングスは大好きだったんだけど、もうひとつコンサートに行く気がしなくて、あまり興味ないふうを装っていた。
でもね、先日ウィングスのリマスターされたライブアルバムを買ったら涙が止まらないのよ。

Wings Over America

Wings Over America

リンダの声が私は好きで彼女のコーラスもしっかり聞こえる。
どうしてコンサート行かなかったんだろう。
高校のときは俺たちの武道館コンサートのときは、まず、オマージュということで「BIG BARN BED」の一番盛り上がってるところから始めよう、と決めたたくらいなのに。

昨日、テレビで「ABBEY ROAD」のジャケットのアイデアはポールのもので、彼のスケッチも残っていると、カメラ位置まで決めているそのラフまで見せていた。

以前書いたが、彼のあまり売れなかったアルバム「PAUL IS LIVE」のジャケット撮影に立ち会ったことがある。
私はあの「ABBEY ROAD」の横断歩道をそのまま伸ばしていったところにあったフラットの半地下に住んでいた。
急性肝炎で自宅療養していた私は騒ぎを聞きつけ、パジャマにセーターを着込み、サンダル履いて、カメラを持って、その様子を警官の制止を振り切り撮影した。

Paul Is Live

Paul Is Live

警官の向こうにちゃんとポールが写っていたので、「漂漂(ふわふわ)」という本を出したときにその写真を使おう、ということにしたのだが、出版社がこれやるととんでもないことになる、と止められた。
そのうちどこかで。

今度のコンサートは必ず行く。
泣いて泣いて泣きまくる。
青春真っ只中だ。

話と何の関係もないけど、先日コベント・ガーデンで撮った写真。
盗み撮りばっかし。