24時間テレビ

今日から「24時間テレビ」という愛は地球を救う番組がスタートするんでしょ。
この番組のことがたがた言うと仕事が減るな、と一瞬躊躇するんだけど、これまでもこれからも仕事がいただけるなんてことはあり得ないことに気がついたので、思うところを書かせていただきます。

この番組はチャリティなんざんしょ。
チャリティにしてよ。
出演者は全員ギャラなし、局も24時間テレビ放送中の広告収入はすべて寄付、スタッフの方々もボランティア。

これ私がいきなり理不尽なことを言っているんじゃなくて、当たり前のことでございます。
イギリスにはレッド・ノウズ・デイというイベントがございます。
コミック・リリーフというチャリティ団体が主催しているもので、放送局主導のものでありません。
夕方から翌日深夜までBBC1、BBC2で番組が進行しますが、これは番組がメインというわけでもなく、同時多発的に全国でたくさんのイベントが繰り広げられ、スポンサーもドガンと寄付をします。せざるを得ないということもあるんでしょうけど。
このイベントでは私が知る限り参加者はすべてボランティアのはずです。
多くの著名人も鼻に赤く丸いスポンジをつけて登場するし、町を歩いていても赤鼻の人間が目につきます。
私も訳が分からないまま赤鼻で仕事をしてたこともありました。

24時間放送するなんてバカなことはしておりません。
24時間放送し、疲れてるけど頑張ったよね、という御涙頂戴くそ芝居はチャリティとは何の関係もないんで皆さんニコニコ笑顔で募金を呼びかけます。

今年は3月15日に実行され、イベント後の寄付も合わせると約141億円を集めました。
一方24時間テレビで子供、爺さん婆さんから集めた寄付金は昨年実績で約11億7000万円。
あらららら、やっぱりスポンサーのCM放送料はやはりチャリティには入らないんですね。

ま、イギリスはBBCだからCM入んないんだけどさ。

イギリスと日本じゃチャリティの考え方に差がある、と言われればそれまでなんだけど、何かにつけチャリティの寄付を求められます。
街頭で「お願いしまーす」というのはクリスマスの救世軍くらいしか見ないように思うんだけど、個人的に「俺は明日マラソンを完走するからそしたらチャリティで5ポンド寄付してくれ」とかいうのが多いんでございます。
走るだけじゃなくて、ちょっとした冒険みたいなもののこともあるんだけど、自分ができそうなことをチャリティの材料にいたします。
自分が何かに挑戦するモティベーションとチャリティをうまくつないだ面白い仕組みだと普段から感心しておりました。
レッド・ノウズ・デイでも同様のことに著名人が挑戦してチャリティを盛り上げます。それに共感し、一緒に楽しんで皆さんは寄付をいたします。
もちろんノーギャラでございます。

今回24時間走らせられる大島さんが偽善者だなんて全然思わないけど、この24時間テレビの仕組みには胸くそが悪くなる私であります。

24時間テレビのキャッチフレーズは「愛は地球を救う」と誰も文句つけらんねーだろーが、と威張っているけどレッド・ノウズ・デイは「Do something funny for money」。
軽いノリでチャリティしようぜ、ということですね。

で、ここで無差別攻撃を受けそうなことを書きますね。
「愛は地球を救いますか?」
「愛」という言葉はとてもポジティブに受け止められていますし、私も否定しようとは思いません。
でも、地球を救う?
愛の反対語はなんでしょうね。
憎しみですかね。
いくつかきっとありますね。
とりあえず憎しみとということにしておきますか。
私は愛と憎しみは裏表の関係にあるんじゃないかしら、と常々感じております。

愛国心を持たないやつは売国奴
憎まれますよー、愛国者の方々に。
私は日本が好きだけど、愛国心って言葉が嫌いなんで売国奴と言われてもまあいいや、と思うんだけど、愉快じゃないね。
もし、愛する日本、美しい国、故郷、家族が危険にさらされたなら、何の躊躇もなく引き金を引き、ロケット砲を飛ばし、敵を叩き潰します、ってのが愛だとすれば、愛は地球を滅ぼすんじゃないの。
愛のために地球を何度も破壊可能な核兵器を持ってしまってるのが人間なんざんしょ。
だから日本は核兵器持ってない、とはもう言えない状況になりました。
日本はアメリカの核の傘で守られているってのが日本政府の公式見解になっているそうなので、ついこの間ジュネーブで行われた国際会議で日本は「核兵器不使用」の共同宣言には署名しなかったもんな。
日本テレビは今回の24時間テレビでこの辺りのところ徹底的に叩いたりするのかしら。

いきなり核兵器に話が飛んで「そりゃないよ」と思われた方もいらっしゃるでしょう。
でもさ、旧ユーゴスラビアを始め、世界中で現在も続いている紛争という名の殺し合いは愛が発端になっている場合が多いですよ。
もちろん人間そんなに単純じゃないから、それだけじゃないですけどね。

人間は愛だの正義だの国だののために残虐に敵を殺します。
今、私たちがもう一度認識しなければならないのは、人を殺す、殺されるということがどういうことか、なんじゃないすかね。
人間の愛を信じるのは結構なことだと思いますが、同時に人間がどれだけ残酷になれるかを知ることも同様に、あるいはそれ以上に大事なことと私は考えます。
はだしのゲン」で「残酷な描写」を理由にして閉架した方々、どうお考えでしょうか。