おにぎり

本日の「ごちそうさん」。
おにぎり持って、幸せに一直線だ。

おにぎり食べたいな。
め以子の手は大きいから、大きなおにぎりが握れます。
私の手は親父ゆずりの子供のような手で、人前に出すことも恥ずかしい。
娘の手の方が大きいんじゃあるまいか。

高校生のときは給食なんかないから、弁当を作ってもらうか、校内で売っているパンを買うか、注文弁当を食うかしかありませんでした。
弁当以外では金がかかる。
200円くらい?
今と大して値段は変わらないような気がするな。

私はバンドをやっていたんだけど、ギターは高くてなかなか買えない。
欲しかったのはグレコの白のストラトキャスターね。
当時でも4万円以上しました。
夏休み、冬休みは倉庫で肉体労働のバイトをしていたんだけど、お給金は安かったよ。
弁当代は今と変わらないのに、バイト代は1/3かよ。

金が欲しい。
そうでないとリードギター稲永がくれた何物かわからないお古のお古を使い続けることになってしまう。
誰も見たことのない不思議な形のエレキギター
ピックアップも音をあまり拾わないんで、ペコペコの音しか出ない。
ああ、心の底から金が欲しい。
持っていたドーナツ盤は全部売った。
切手も親に無理矢理売った。
足らない。

私は普段からバカだけど、せこい話になるともっとバカになる。
バカといわれても金が欲しい。
すごいこと思いついたんですよ。

毎日200円もらってパン買ったりしてるわけだから、その金を貯めればいい。
しかし、昼飯を食わないわけにはいかない。
マッチ棒のようにやせていたんだけど、大食い選手権に出てくる女性達くらいよく食った。
鮎川と河内山と田村と相談して決めました。
鮎川は私と同じくらいバカだったんだけど、河内山と田村はバカじゃありませんでしたが、付き合ってくれました。

母親と交渉に臨んだ。
「毎日弁当代をいただき誠にありがとうございます」
「弁当代しかあげんよ」
「それで結構でございます。ただ、毎日学校のまずい弁当は飽きました」
「・・・」
「4日に一度だけ弁当を作っていただけませんでしょうか」
「それだけのことかね」
「はい。それだけのことでございます」
「ええよ」
「それでですね。お母さんの弁当を一緒に食べたいと申している者が他に3人います」
「・・・」
「是非食べたい、と申しております」
「どうすりゃええんかね」
「4日に一度、4人分の弁当を作ってはくださらんか」
「他の日は?」
「200円ください」
「はあ?」
「パンを食います」
「他の3人は4日に一度だけうちの弁当を食うんかね」
「御意」
「4人分ってすごい量になるやん」
「はい。頑張って運びます」
「そうやない。作るんが大変なんよ」
「そこはもうご安心ください。お母さんお得意の茶碗でゴー、で充分であります」

茶碗でゴー、は今私が名付けたのだが、要は飯を茶碗に入れて塩振って、それをポーンポーンと茶碗をうまく動かし、宙に飯玉を放り上げ、まんまるにする必殺ばかでかいおにぎり製造の方法でございます。
そのでかい飯玉を一枚の海苔で包むと海苔おにぎりの出来上がり。

「それだけかね」
「できましたら一人2個。それから鶏の唐揚げなんかあると」

ということになり、母親は眞一郎かわいさに4日に一度ばかでかい海苔おにぎりを8つ、唐揚げたんまりを持たせてくれるようになりました。

言うまでもなく、毎日日替わりで他の3人が4人分の弁当を持ってくるので、3日で600円貯金ができるという画期的なシステムが構築されました。
問題は最初は「おお、お前んとこの弁当は豪快やなあ」と喜んでいた連中が、「いつも同じやないか」と文句を言い始めたことでありました。本当に毎回同じなんで私も少々あきれましたが、無理を言えばすべてが崩壊するのは必定。
「ありがたくいただきなさい」となだめるしかない。
しかし、他のうちのお母さんは友達に食わせるということで、腕を振るうこと。
高校生の飯にそんなに力を入れんでくださいよ。
こちらは立場がないんだから。

ありがとうお母さん。
本当は「お母さん」なんて呼んだことなくて「あんた」だったんだけど、ここではお礼の意味も込めましてお母さんと呼ばせてください。

おかげでギターを買うことができました。
でも、バンドで必要な機材は増えるばかりで、マイク、マイクスタンド、ヴォーカルアンプ、他なんだかんだで休みになるとバイトに精を出す私でありました。

弁当作戦は半年くらいしか続きませんでした。
どこのお母さんもばかばかしくなったようです。

ああ、杏さんのおにぎりが食べられる男は幸せだな。

ラオスのお弁当はみなこの竹で編んだ可愛い入れ物に入ります。
ご飯は餅米。
すごく固くなるんで、よく噛んで食べます。
腹持ちが大変よろしい。