年賀状を作る

本日の「ごちそうさん」。
予想通りでも面白いっていうのが朝ドラの魅力だわ。

本題。
今日はもう11日じゃない。
毎年この時期には年賀状とっくに入稿して届くのを待つばかりなのに何にも考えてなかった。
私は年賀状が好きで毎年印刷ではあるけれど、オリジナルで作っている。
新年のご挨拶ではあるけれど、何かを伝えたくてご挨拶をするんだから、伝えたいことははっきりとさせなきゃ、とリキ入れると「大倉さん、凝りすぎで何が言いたいんだかわかりません」と減点されたことがあった。
あー、そういうこともあるだろう。
しかし、そんなことを考えていては「なんだ?すごいじゃん」というものにならんでしょう。

皆さんから届くものを見るのも好きなんだけど、私は自分で作ったものを眺めている方が好き、っていうのは完全に目的をはき違えているな。
すごく間違っている。
きっともらった方は「なに考えてんだか」とあきれているはずである。
だって返事が来ないんだもん。

一度家族でラーメンを食べている写真を使ったら、意外なことに受けてしまったが、あれは何故受けたんだろう。
正月の挨拶に家族でラーメンの写真かよ。
去年はネパールのチベット仏教のお寺に無限にたなびいているタルチョー、その前はカンボジアの夕暮れ、その前はネパールのナガルコットで早朝に撮ったコスモスの花、その前は・・・、出てくる出てくる。多めに作るんでたくさん出てくる。
欲しいという方がいらしたら数限定で差し上げますよ。
いらないね。

どうしてこんなに力を入れるようになったのかを考えてみた。
ずっと自分が伝えたいことを伝える仕事じゃなかったからだ。
でもないか。
言いたいことは言ってたな。
褒めてもらいたかった?
褒めてもらえれば嬉しいに決まってるんだけど、そういう邪悪なことを正月から考えるかな。
でも、その辺りが怪しい。

最近はメールやFBで「あけおめ」と送って来る皆さんが多くなりまして、明治は遠くなりにけりだ、と淋しい想いをするんだけど、明治時代ってそんなによかったっけ。

しかしまずいな、本当に頭の中がまっさらだ。
今日は出かけちゃうんで作れないよ。

なんとかするしかない。
締め切りで胃が痛くなったことなんて100万回くらいあるわい。

猫年ってないんでこれもいいかな、と思ったけど、ここで使ったんで年賀状にはなりません。
香港。