「美しい国」と「愛国心」と「おじいちゃんの里帰り(英題 Almanya Welcome to Germany)」

本日の「ごちそうさん」。
め以子も旦那さんもあの異様な雰囲気の家の中でよう頑張りました。

本題。
安倍君は「美しい国」という何を言いたいんだかわからないキャッチフレーズで政治家としての心情をすべて明らかにしていくものだと思っていたら、やっぱり出てきた「愛国心」。

美しい国」がわからないのは絶対的価値観として日本という国に日本人だけが持つ感情なのか、すべての国の国民が自分の国を誇るべきだということなのかわからないことでした。
まず間違いなく前者なんだけど、当然「じゃ、美しい国って日本だけ?」あるいは「美しい国の基準って何?」という疑問は出てきます。
キャッチフレーズを作るときは何を伝えたいのかきちんと整理してからにしないと、意味不明なままになってしまいますよ。
最近は「美しい国」聞かないな、やめたのかしらと一息ついていたら、昨日キテレツなニュースにつまずいてしまった。

「自民、公明両党は国家安全保障戦略に、『愛国心』を明記する方針を了承した」というもの。
どの新聞も「愛国心」という言葉を使っているが内容を確認してみると、実は「愛国心」という言葉ではなく、自民党は「国を愛する心を育む」と主張し、公明党は「我が国と郷土を愛する態度を養う」と譲らず、これから調整に入るということらしい。
どう違うのかよくわからないけど、いきなりの「愛国心」ではない。

愛国心と並んで使われる言葉は「売国奴」「非国民」。
私は慣れてしまったけど、言葉の響きは最悪なので本当は使用禁止用語にして欲しいと願っております。
だけどなあ、表現の自由は譲れないのでやっぱり撤回させていただきます。

さて、ここで気になるのは教育方針等ではなく国家安全戦略の中で「愛国心」的な内容が盛り込まれるということ。
「国を愛する心」という極めて個人的な心情に踏み込んで、安全保障を確実なものにするということか。
外交、安全保障の指針ですよ。
そこに「国を愛する心」を盛り込むというのは、例えば時の日本政府が間違った方向に向かおうとしている時に反対の声を上げる、デタラメな外交機密を暴こうとすると「国を愛する心」に反していると袋だたきにするという意味か?

私はインドもネパールもラオスカンボジアもイギリスもスペインもアルメニアも他の様々な国も大好きだけど、日本も愛してますよ。
日本が再び誤った方向に進む危惧を感じたら、国を憂いて「絶対反対」の声を上げますよ。
そういう意味では私は非常に保守的で右翼的でもあります。

昨日「おじいちゃんの里帰り」というドイツ映画を観てまいりました。
トルコからの移民に焦点を当てた秀逸な一本。
50年近く前に100万1人目の移民として国外からやってきた働き者のトルコ人、その一家の物語。

筋とは関係ない説明をしますが、ドイツは第二次大戦後日本と同様に高度経済成長期を迎え、労働力の不足を補うために広く移民を求めました。南欧からも多くの人がやってきましたが、トルコ人はドイツ人から見ても働き者で低収入に耐えるということで大変重宝されました。
ドイツ人の几帳面さは日本人から見てもついていけないと思うことがあるほどですが、彼らに「トルコ人以外ない」と言わせるくらいにトルコ人はまじめでした。映画の中にもその記録映像は挿入されています。
多のイスラム諸国と比べてもケマル・アタチュルク政教分離を押し進めたことも西洋に受け入れらやすい素地を作っていたのかもしれません。

主人公のおじいちゃんはドイツで50年近く実直に働き続け、裕福ではないにしても立派に子供を育て、孫にも恵まれ不自由ない生活を送っていました。
ドイツに不満はないものの、ドイツ国籍を取得することには強い抵抗感を抱いていましたが、妻に押し切られます。
子供、孫は当然トルコ語よりもドイツ語を使いこなすことになります。

でも、おじいちゃんはトルコ人としての誇りを失うことはありません。
どんな貧しい土地であっても自分の故郷は変えられません。
でも、ドイツに居住して働くことに喜びを感じています。

おじいちゃんはドイツ国籍を取得する際に夢を見ます。
「ドイツを故郷として、ドイツ文化を愛するか」と審査官に詰め寄られます。
どうしても「ヤー」と言えず夜中にうなされて飛び起きます。
そんなことはあり得ませんから、あっさりパスポートを手にします。

さて、日本にこのケースを当てはめてみましょう。
日本は移民を極端に規制していますからそのままというわけにはいきませんが、それでも国籍を取得しているしていないに関わらず生まれは外国という人は多く暮らしています。
そういえば私の娘も生まれるのがあと半年遅ければ自動的にイギリス国籍を取得できていたはずです。

外国からやってきて、日本に居住している人たちには「国を愛する心」をどう解釈してもらうのでしょうか。
日本にいる限り「日本国を愛する」ことを求めるのでしょうか。
日本が好きで日本国籍を取得しつつ、生まれた国に強い誇りを持つということは許されないのでしょうか。
「日本とお前が生まれた国、どちらを愛しているんだ」と選択を強要するんでしょうか。

日本人でありながら外国籍を取得した人に対しては「お前は日本人ではない。日本人として誇りを持つことは許さん」とでも言うのでしょうか。

日本は生涯二重国籍を持つことは許されていません。
20歳になるとどちらの国籍にするのかを選ばなければなりません。
「どちらも愛している」ということは許されないことになるのでしょうか。

日本が好きではあるけれど、日本政府が大好きではない私は「愛国心」という言葉が跋扈する状況を大変憂いております。
時の政府から「国を愛する心」を押し付けられるのは拒否します。

時を同じくして共謀罪法案が練られ始めています。
石破幹事長は「特定秘密に該当する情報を報道するのは抑制すべきだ」と本気で恫喝をかけてきました。
「誤った解釈があふれていて、国民は戸惑っている」と何かにつけ逃げを打っているが、私は法律は人治主義で定めてはいけないと主張しているだけです。
法律ならば当然のこと法治主義に徹して曖昧な解釈を許さないことが大原則と当たり前のことしか言っていない。

今のところ法律にはならない「愛国心」だが、いつそれが変容するのかわからない社会を嫌悪する。
日の丸・君が代は強制ではなかったが、今では強制ではないとしつつ強制されている。

私はネパールの政治家連中にはうんざりしているが、ネパールを愛しています。
カトマンズ