キャラと分人?

本日の「ごちそうさん」。
私にも美人の幼なじみがいたらいいなあ、と思いました。56歳か。

本題。
女医ということでなぜだかわからないけど「タレント」としてテレビに出ている西川さんという方がいるのはご存知でしょうか。
知らないかな。
弁護士ということで「タレント」になっている人もいるくらいだから、誰が出て面白いことを言おうが言うまいが問題ないです。
自由にやって欲しい。
何でもありらしいから、何でもやってどうにでもなっていただければと思っております。

で、その西川さんが離婚されたらしいのね。
たまたま日曜に二日酔いの頭でボケーッとテレビつけたらやってました。
なぜ離婚したのかはどーでもいいんで泣いたり笑ったりしていていただければと思います。

私が何のことだかわからなかったのが「西川さんはこれからは不仲キャラ(違ったかも)から、離婚キャラで」ということになり「それがいい。それがいい」とみんなで和んでいたことでありました。
一緒に出ていたお笑い芸人の吉村という方は「破天荒キャラ」で売っていたらしいんだけど、ちっとも破天荒じゃないんで、「どうしていいんだか悩んでいる」らしい。

昔、「キャラが立っている」という言い方は聞いたことがある。
「あの人はこういう人だよ」と言い切れるくらいわかりやすい状態を保っている人に使ってたんでしょ。
違った?
「まじめキャラ」「バカキャラ」「へたれキャラ」「癒しキャラ」とかあるグループ内でその役割を負う人間を決めて使用していたんじゃないかな。

もっと前は映画「テッド」がパクった江口寿史の「キャラ者」があったんだけど、これはスケベ熊のぬいぐるみが出てくる漫画史に残る名作である。そこで上記のような使われ方はしていなかったと思うんだけど、その時代の風を読む勘は際立っている。

キャラ者 1 (アクションコミックス)

キャラ者 1 (アクションコミックス)

キャラ者 2 (アクションコミックス)

キャラ者 2 (アクションコミックス)

キャラ者 3 (アクションコミックス)

キャラ者 3 (アクションコミックス)

ま、それはそれで。

じゃ、私は何キャラなのかしら、と考えてみた。
人嫌いキャラ
二日酔いキャラ
猫好きキャラ
なにやってるんだかわからないキャラ

どうもしっくりこない。
ハゲキャラかなあ、これが一番ぴったりくるんだけど、ハゲはキャラクターとして成立しているんじゃなくて事実なだけで、「あの人はハゲの人よね」と言われても、どのような人となりかは全くわからない。

二日酔いの頭でこのキャラについて考えているうちに、もしかして分人という概念がそのまま当てはめられるのではないかと思い当たった。
リア充」のときもそうだった。
何度も書いているが平野啓一郎氏が導入した言葉であるが、人間は「唯一ひとつの人格」によって成り立っているわけではない、話をする相手、場所によって「自分」を使い分けているし、使い分けた方が自然である上、「自分とはかくあるべき」という観念にとらわれてしまうと、あることが破綻したときにすべての「自分」が壊れてしまう、という非常に明晰な考察である。

私の説明では誤解を与えてしまう可能性があるので、興味のある人は平野さんの以下の本をお薦めします。
「ドーン」「空白を満たしなさい」は小説。
「私とは何か」は新書です。

ドーン (講談社文庫)

ドーン (講談社文庫)

空白を満たしなさい

空白を満たしなさい

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

テレビのバラエティ番組で言われているキャラは分人主義と合致しているのだろうか、とつまらないことも考えたが、あながち間違ってもいないような気がしてきた。
わざわざ離婚キャラ、破天荒キャラと名付けることもなかろうが、それで仕事をしてお金がもらえるのであれば、仕事上の分人として発動させても問題なかろう。

それにしても涙ながらに離婚を語る西川さんを長々いじっていたのはくだらない。
語る方もどうかしてんじゃないか。
やっぱ文句言ってるな。

放浪キャラの時の私。
イェレヴァン、アルメニア