アクト・オブ・キリング(THE ACT OF KILLING)

毎日はブログ書かない、と決めて、でも、ちょいと書いてみたりして自分の心持ちの変化について観察しようと高尚なことを考えたんだけど、これがどうも私が期待していたような前向きな変化ではないね。
なんにも考えなくて、ああ、朝早めに出かけるときに早起きして書かなくていいのはありがたいなあ、とまずは思ったんだけど、そのうち寝ててもいいとなると起きる気がしなくなる。
惰眠を貪るというやつ。
次に、毎日書かなくていいという事になると何を書けばいいんだろう、と悩む振りをし始める。
で、気がつけば6日に更新して以来1週間ほったらかし。
2年3ヶ月書き続けた結果がこうだ。
目的なきブログの行き着く先にはやはり本来の俺がいたということじゃん。
人間ある程度の縛りを入れておかないとドロドロに溶けていくということでした。
あ、人間じゃなくて、大倉ね。

この映画は実は公開前11日に紹介するつもりだたんだけど、それも忘れてた。
なんかダメになって行く自分を再確認したみたいでいやんなっちゃったよ。
この映画を紹介する導入としては最悪の滑り出し。
気を取り直して、次のパラグラフから読んでください。
無理だね。

映画を観続けてきた私ではありますが、こんなに恐ろしい作品に出会ったことがない。
背筋が凍る、というのはこの映画のための作られた言葉だった。
あまりの展開に胃が縮み、気分も悪くなってくる。
それがフィクションでなくドキュメンタリーだから始末に負えない。
厳然たる事実を追いかけている。
虐殺を行った本人たちが「こんな感じで殺したんだぜ」とスクリーンで笑っている。
何の屈託もなく仲間と当時を懐かしんでいる。

1965年スカルノ大統領時代、インドネシアでクーデター未遂事件が起きた。
スハルノ少将(次期大統領)が収拾にあたったが、その際に「共産主義者」と決めつけられた100万人とも200万人とも言われる人たちが虐殺された。
実行したのは町のゴロツキ。
その上には当然「当局」がいる。
またその上には西側諸国の支援がある。
彼らが罪に問われたことは一度もない。
今でもその虐殺を楽しげに語っているのだから。
「国民的英雄」とさえされている。

監督のジョシュア・オッペンハイマーは虐殺にあった被害者を取材していたが、当局から様々な形で妨害を受けたためとんでもないことを思いついた。
加害者に接触して「当時の虐殺の再現映画を作らないか」と持ちかけた。
大喜びして被害者の役を演じるかつての虐殺実行者たち。
これで妨害は無くなった。

最初は何のことだか正直理解できなかったが、これ以上のリアルはない。
虐殺者が作った映画の制作過程でどのようなことが起きるのかは実際に観ていただきたい。
残酷な暴力シーンは全く出てきません。
そういう描写の心配はしなくてかまいません。
R指定もありません。
ただ、感受性の高い子供に観せるかどうかは一度ご覧になって、判断いただいたほうがいいかもしれません。

こういう虐殺は遠い昔の混乱期にだけ起こったのか、今でも起きているのかは自明のことですが、それが西側の手を汚すことのない国と関係ない、とは言えないことを思い返していただきたい。

この映画には多くのインドネシア人スタッフも参加しているが、共同監督以下すべて匿名とされている。
その意味は明白でしょう。

人間は「愛」を知っているけれど、同時に底なしに残酷にもなれるという普遍的事実を描いた映画だと私は解釈しています。