ディスコネクト(DISCONNECT)

昨年、ロンドンでイギリス人の友人宅でヤドカリになっていた時、そのご夫婦がバース近郊をくまなく案内してくださいました。
ありがたいことで、カレーを作ってお返しをしました。
私の作るカレーは信じられないくらいうまいからね。

で、たまたま天気がよくて、昼間は歩くと喉が渇いてしょうがない、ということで、何かというとパブだ会員制クラブだとビールやサイダー(リンゴ酒)を飲んでまわっておりました。
彼らはオーダーするなり夫婦そろってスマホを取り出し、チャッチャカ無言でチェックを始める。
私がうまそうにビールを飲んでいると怪訝な顔をしてお尋ねになる。
「オメーはチェックしないの?」
「そんなもん持ってないもん」
「これなしでどうやって生きてる?」
「こうやってビール飲んで生きてる」
「これがあると、こうなってこうなってこんなに便利だぞ。俺たちなんか座るなりいつも二人でじっとスマホいじってるぞ」
「あー、俺は不便が趣味なの」

というような会話が交わされておりました。
確かに携帯もガラケーを日本から持って行っただけなんで、電話一本もローミングでどえらい金がかかるから使わない。
本当は不便極まる。

日本に帰って来たら、これまでガラケー仲間だよねと親近感を持っていた連中までいつの間にかスマホに替えていて、すこぶる居心地が悪い。
別にかまわないんだけど、「俺だけ仲間はずれ?」ってな中学生のようなことを思ってみたりして。

ますますスマホ族は増殖していて、バスの中でボケーッとどこも見ていないのに、スマホをいじっていた前の席の若い女性がいきなり振り向いて、キッと私を睨んだりする。
読んでないよ。
君が何を書いていようが興味ないもん。
もーう。

この映画はSNS上で起こる胸が悪くなるような出来事を描いている。
ネット上では虚実入り交じった「情報」「会話」「取引」が交わされていて、私もたまに何がなんだかわからなくなることがある。
それがネットの中の世界だけでなく現実世界に浸潤して来ると思わぬことが起きたりする。
とても幸せなことだったりもするし、どん底に突き落とされる。
ネット上の「私」と現実世界の「私」はどちらも「私」ではあるが、そこに乖離が生まれる。
これは分人の考え方からしても至極普通のことで、それ自体を問題だとは思わない。
ただ、現実世界ではあってはいけないことが、ネットの縛りから解き放たれると、大変困ったことになることもある。
ま、本来ネットは現実世界の補完の役目を負っていたわけだから、今更わかったようなことを言う気はないんだけどさ。
私もFB使ってるし。

銃撃戦があるわけでもなく、ホラーでもない。
なのに、この気分の悪さはなんだ。
「リアル」であることが脅かされることへの怯えなのかな。
でも「リアル」ってなんだっけ。
この映画に希望の光が射すかどうかはご自身で体験されてください。
本日公開。

なんだかんだ言いながら、1ヶ月以上海外逃亡を図ることになっている私はやっぱりガラケーだけじゃ案配悪いなあ、杏ちゃんからもBOOK BARのスタッフの方々からも「便利ですよー」と勧められて、昨日はアップルストアに行ってみたりした私。
スマホは嫌なんだけど、iPad購入を検討し始めております。
「今頃何言ってんだか」という幻聴に悩まされている。