イラン映画3本立て

映画を1日で3本観ることは私にはそれほど珍しいことではないんだけど、同じ劇場で続けて鑑賞というのは浅草から映画館が消える日以来のことで、なかなかヘビーなものになるんじゃないか、と危惧しておりました。

しかし、こういう出だしだとそうじゃなかったんだろうという皆様の予想通り、逆にイラン映画にどっぷり浸り、大変幸せな機会となったのであります。
場所は再びイランイスラム共和国大使館。
これでもう3回目の訪問。
ここね、バカブッシュが悪の枢軸国と名指しした国なんだけど、実際に行ってみるとわかるんだけど、悪の枢軸国がこんなに無防備なわけないでしょ、てくらいノー警備なのよ。
入ると土曜というのになんで仕事させられてんだよ、という顔をしたイラン人のおじさんが受付に一人座っているだけで、ハゲ、カーゴパンツにTシャツだけという明らかに不審な顔と格好したオッサンが入っていっても、顔をちょっとだけ動かして下の階に行けと入館の記入さえ求めない。
侵入を促しているわけじゃないけど、誰でも入れますぜ。
しかも、階下には何百万円あるいはその上の桁に届かんとしそうな絨毯がタペストリーのように壁にかけてあったり、その無防備、無頓着なことと言ったらない。
おおらかと解釈してもいいです。

そこの立派なホールでイラン映画3本立て興行が行われたのでございます。
無料なんだけど。

宮田律先生という私と大学で同期、同じゼミだったイスラム研究の第一人者がイラン大使館、イラン文化交流センターと話をつけてこのところ積極的に映画鑑賞会、食事会を催してくれているからです。
宮田さんと一緒にいると彼の書いた本(大変な数の著書あり)を抱えた男女が「先生、サインをお願いします」と寄って来る。
慣れているのか、「はいはい」と名前を聞いて対応している私、じゃなくて宮田さん。
どうも近くにいると自分がサインをしている気分になるんだよね。

イラン映画は非常にクオリティが高く世界の映画祭でも最高賞を何度も受賞している。
ちょっと前に公開された「別離」は見逃してしまったんだけど、同様の水準を保った映画がたくさん作られてます。
ドンパチ一切なし。
苦しい状況に置かれた人間の心理をじっくり描いていくタイプのものが多い。
アメリカ映画のような撃ちまくり、殺しまくり、怖がらせ、ゾンビだらけなんてのは観たことがない。
もちろん言論弾圧もあるし、亡命イラン人は現在の体制を強く非難してはいるけど、実際に住んだ人、旅した人の話を聞くと外国人が大変な不都合を感じることはほとんどないらしい。
イランにも行かんといかん。
隣国のアルメニアまでは行ったんだけどな。

観た映画は以下の3本。

「金と銅」
イラン映画であからさまなハッピーエンドを観たことがないんだけど、これも同様。
夫婦の細やかな愛情と困難な状況を細かく丁寧に描いている。
「涙が出そうになりました」と訴えてきた若者がいました。

桜桃の味
カンヌでパルムドールを獲った作品。
あまりにも淡々とした進行に寝ちゃったという方もいらしたほどジリジリさせられるんだけど、そのタメが最後一気に解消されるというものではなく、最後までジリジリしたまま終わる。
一度観ているんだけど、とにかく後を引く作品。


「彼女の消えた浜辺」
美人大量出演の超エンターテイメント、と言いたいんだけど、美人はたくさん出てきながら、これ一体どうなる?、と、とても寝ていられないような緊張感が全編を貫いています。
これも2度目なんだけど、細かい描写に再度深く心をえぐられます。

どれも「イランは素晴らしい国」というプロパガンダ映画とはほど遠く、矛盾、痛み、貧困をそのまま晒している。
イランに対して不審感を持っている人は少なくないと思いますが、是非DVDを借りて観ていただきたい。
「金と銅」は日本未公開なので、DVDはありません。

3本観たあと、酒宴に突入し、極めて気分よく帰宅。
その間に気がついたんだけど、必ず痛みがあるはずの膝がどうもない。
酔っぱらったからかと思ってけど、そんなの毎日のことだからとても不思議。
施術をしていただいた渕上さんにお聞きしたところ、「すごく楽しいことがあったんじゃないですか」というご返事をいただきました。
どうもそのようであります。

イランの主たる宗教はイスラムシーア派、なんだけど、隣国であるキリスト教を世界で最初に国教にしたアルメニアと大変に関係がよろしい。
そういうことも大事なことであります。
アルメニアの小さな教会内部。