さよならだけが人生だ

井伏鱒二漢詩を訳した言葉だけど、これが大好き。

井伏翁はもう発表しちゃたんだから、こちらが勝手に解釈していいんです。

花もまたさよならしたぞ。
泣いちゃった。
いろいろな人と出会って、その出会いに感謝し、それを心に留め置きながら新たにページを開くのだよ。

もう何百人、何千人とさよならしてきたのかわからないけど、きっとほとんどの人は忘れてるんだろうな。
それはそれでいいじゃないか。

とか、ずっと思ってたんだけど、最近はFBなんてものができちゃって、「おお、何しよったかね」と多分もう会うこともないだろうと思っていた人と再会したりします。
いいんだけどね。
いや、本当にありがたいと思うんですよ。
だけどさ、どこか逆に淋しくなることないですか。
思い出は美しかったり、泣き出したかったりします。
何十年もかけて熟成してきた記憶である。
思い違いも多いだろう。
それでも大事な思い出。

昨日は切れ目なく会っているミキちゃんが下関から我が家にやって来て、あるだけの酒を飲んで帰りました。
お土産は唐戸一龍軒のラーメン。
こういう思い出は実物の方がいいんで、大変ありがたい。

さよならだけが人生だ。
声に出してみてくださいよ。
淋しさと潔さにちょっと酔いますよ。

下関の路地裏で出会った猫。
もう会うことはないだろうけど、覚えてるよ。