マダム・イン・ニューヨーク(英題 English Virgin)

インド映画は日本でもイギリスでもインドでもミャンマーでも公開されているのを見つければ必ず劇場で観ますよ。
ヒンディーであれ、テルグ語であれ、タミル語であれストーリーはなんとなくわかるんだよ。
歌も踊りも怒りも悲しみも喜びも暴力も差別も正義も悪も恋もスケベもあらゆるものがインド映画にはつまっているから飽きません。

ところがですね、ここ最近それがそうでもなくなってきちゃって、ロボットもの純粋恋愛もの日常ものとか区別できるようになってきて、テーマを絞って映画作りが行われ始めております。
当たり前のことやってると言われればそういうことなんだけど、あの混沌が懐かしくなって淋しさを隠しきれない私。

アメリカ資本もお金入れ始めちゃったからね、脚本にいろいろ言ってくるんですよ。
つまんなくするんだな、これが。

何十年も前からインド映画は海外撮影が当たり前のようになってきて、最初から最後までニューヨークが舞台というものもあります。
まあ、いいんだけどな。
食い足りんわ。

ということで、「マダム・イン・ニューヨーク」の試写に行きました。
ニューヨークだからニューヨークなんだろうと思ったらやっぱりニューヨークよ。
いろいろあって、主たる舞台はニューヨーク。
英語のできないマダムはガキにはバカにされるし、亭主には当てにされない。
ああ、腹が立つ。
と、かつてメリーランド大学の語学学校に押し込まれた経験のある私はよーくわかる。
自分より年下の各国からやって来たお嬢ちゃんや坊ちゃんに混じって、英語のお勉強だもの。
あ〜、あいつの言ってることはなんだかさっぱりわからんわい。
あのおかしなアクセントはどうにかならんもんか、とふんぞり返っていたのに、自分の英語のふがいなさが突出していることに気がつき落ち込む。
やってらんねーよ。
仮定法過去とか覚えてる?
なんだかまじめにグラマーまでやるから面倒でもう嫌。

マダムは自ら英語学校の門を叩くんですよ。
偉いわー。
しかもこのマダム、マダムじゃないじゃん。
若くて綺麗なお嬢さんをマダムにキャスティングするには無理があるんじゃないの。
インド映画の鉄板としてのふくよかさは身にまとわれているけど、20代でしょ、と思い込んでいたら主人公を演じているシュリデヴィは15年の女優としてのブランクの後に初カムバックの50歳ということがわかって、ああ、やっぱりインド人と結婚すればよかったと大後悔。
かつての大スターですよ。
私が半径1キロ以内に近寄れる存在ではなかった。
昔より美しさのオーラが眩しい。

インドでも大ヒットしたこの映画。
いい話だったよ。
ちょっと泣いたかな。

少しだけいい感じの踊り付き。

まあ、これ観てご覧なさいよ。