ガラポン

本日私はガラポン係である。
なんと明日もである。
で、本人はガラポンがいかなるものか、ということを全く理解しておらず、たった今辞書を引いても出てこないのでネットで調べてみて初めて理解いたしました。
なんのこたーない、抽選機じゃん。
いつもティッシュしかもらえないあれだった。
赤い玉が出たら大当たり。
白い玉が出たら、もうこれでお終い、じゃなくて、ティッシュかあめ玉。

ずっとガラポンって政治用語だと思っておりました。
誰がどの党で何を言ってんのか分かんなくなると、「政界再編だ。ガラポンだ」とウォンウォン吠える人が必ず出て来てたんで、「全政党の垣根を取っ払って、整理し直そうぜ」ということだと思い込んでいたんだけど、抽選機のことだったとはなあ。
だから打ち合わせのたびに「ガラポンは誰が手配しますかね」とみんなで話し合っていても何のことだか分かんなくて、フンフンと頷いてはいたんだけどね。

しかし、考えてみたらどうしてガラガラポンで政界再編になるのかしら。
玉は一個しか出てこないのに。
政界一人きり、みたいなこと?
そういえば山本太郎氏は「新党ひとりひとり」だったな。
分かったようで分からないのが政治世界の言葉である。

私の居住しているマンションは998戸もあって、おそらく住民は3000人を超していると思われます。
ひとつの村である。
イギリスで世話になった友人はバース近くのロードという住民1200人の村でゆったり暮らしている。
あちらは山がないんでひたすら牧場が広がっていて、パブリックフットパスがそこかしこにあり、人んちの領土に入ってもいいところが多いんです。
先日、冒険に出た際、どこ見ても同じ牧場で途中からどこ歩いてるんだか分からなくなり、目を凝らすと同じ場所をサークル描いて回っていることに気づき、ここは磁場が狂っていることを発見した。
住民はその異常磁場にまだ気がついていない。
おかげで飲まず食わずで5時間歩き回ってしまった。

ロードでは友人が活発なコミュニティ活動を行っており、毎週なんだかよくわからない会議に出て村のことについて話し合いをしている。
かつてはこの小さな村はパブだらけで、夕方になると住民はそれぞれ好みのパブに行き、数時間なんでもないことを話していたらしいが、今では残っているパブは数軒しかなく、大部分は店を畳んじゃったらしい。
教会とパブだらけ。
友人と一緒に歩くとここも、ここも、あそこも、ここも教会だった、パブだったと聞かされるので何がなんだか分からなくなる。
いろんな理由があるんでしょうけど、教会の権威はこんな田舎町でも衰える一方のようであります。
教会とパブは同じ機能を果たしていたのね。
それでコミュニティ意識が大変強固になっていたらしいんだけど、今は週一回くらいの集会とネットでのやり取りでそれが保たれているようであります。
と言って、アジア人としか見えない私が勝手にフットパスを歩き回っていても咎める人はいない。
夕方散歩に出て夕日が出ないかとカメラをぶら下げていると、近所のオバチャンがいきなり話しかけてくる。
「今日は夕日は見れんね。ダメダメ、あー今日はダメ」
「昨日はすごくいい光がきよったですよ」
「ありゃー、私は昨日はどこにおったかねえ。見ちょらんけど」
「さーどこかねー」
「この、家の庭が好きなんよ。よう、キレイにしちょってやろ」
「こりゃ、手間がかかっとりますね。大変やろうに」
「そりゃ、そうじゃ」
「あのー、私、この村には生息していないアジア人なんですが、気になりませんか」と聞こうかと思ったけど、無粋なんでやめました。

そんな、のんびりしたコミュニティにいて、四日間もゴロゴロしていたんで東京に戻って、コミュニティってなんだっけか、と自問しております。

そういうさなか、本日明日はマンションあげてのお祭り。
模擬店が出て、焼きそば食べたり、チャーハン作ったり、フランクフルト焼いたり、のど自慢大会があったり、フラダンス踊る人がいたり、大変盛り上がります。
私は1年限りのペットクラブ委員なんで、子供向けのガラポン係であります。
どうしてペットクラブ委員が子供向けのガラポンをやるのかがわからないんで、先日「反対じゃないんですが、どうしてペットクラブ委員がガキにおかし配るガラポンやるんですか?」と委員長に尋ねてみたら「それは、よくわかりません」とのこと。
なるほど、よくわかった。
コミュニティというのは、よくわからないことでもやるんですよ。

そんなわけで、本日はお天気も良さそうなんで、ガキ共にガラポンまわさせて、おかしを配ってまいります。
明日もだ。

ロード近くにある古からあるパブ。