洲崎の来来軒
今日は「BOOK BAR」放送の土曜日。夜11時から聞いてね。
雑誌というとわりと堅めのものしか読まないんだけど、本屋をぶらついていたら日頃読まないブルータスの表紙にちょっとあざといフォントで「ラーメン、そば、うどん。」と馬鹿でかく特集名が組まれていて、気がついたら手にとってレジに並んでいた。
もう何度この手の麺特集には手を出すまいと決めたかわからないのに。チッ!
まだちゃんと読んでいない。内容は想像つくんだよな。私くらいになると。
よかったことは、麺の迷走もありか、と気がついたこと。
ただの麺めぐりは書かないから安心してね。
私は東陽町付近にもう30年住んでいる。8年間海外にいたので、実質的には22年になるが、帰国のたびに近所のラーメン屋の味をチェックしていたので、30年のキャリアで間違いではない。
東陽町という住所なのに未だ「洲崎」と呼ばれる場所がある。特別な場所だったから初心者でなければ、タクシーの運転手さんには「洲崎お願いします」でほぼ通じる。
明治期から吉原と肩を並べるほどの代表的遊郭だったのである。戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれるほどのパラダイスだった、らしい。現在の洲崎は「おや、なんだか雰囲気が違う」と感じる方もいらっしゃるようだが、歓楽街の面影は全くない。しかし、路地に入って、残っている古い家屋を眺めると「ふわっ」とその残り香を嗅げることがある。吉原にさえ足を運んだことがないが、パラダイス、覗いてみたかったな。
芝木好子が洲崎の遊女を追った「洲崎パラダイス赤信号」という短編小説を書いたが、見つからない。DVDで映画化されたものが見ることができる。
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30年前に発見した時から、開店から閉店まで最低でも必ず10人程度は行列のできる店だった。冬でも夏でも。昼時には東京各地のナンバープレートをつけた車が集まってきていた。
いわゆるラーメン本には一切取り上げられたことがなかった。取材拒否だったのかも。通っていた我々もこれ以上客が増えると迷惑だと思っていたので、積極的には人に教えなかった。
これが口コミというものである。書き込みコミではない。
この店、品数がやたらたくさんあって、頼めば嫌な顔せず作ってくれたのだが、客の95%はタンメンと餃子しか頼まない。餃子は世界で一番うまかった。タンメンはどんだけ野菜入れるというほど、どんぶりの上に山となっていた。自家製の太い平打ち麺で野菜のボリューム、塩味と薄気味悪いくらい相性が良く、「いくら野菜食べても麺が出てこない」と文句をたれる奴もいたが、伸びないのであせる必要もない。そのタンメンに自家製のラー油をかけ放題で食べる。辛い。うまい。多い。で私は夏これを食すと、たーらたーら、どくどく頭のてっぺんから汗が噴出してきて、顎からどんぶりの中にボットンボットンほとんどスープと味が変わんないんじゃないかというほどの汗も出汁にしながら麺を食っていた。汗をふくのが面倒なんだよ。急いで食べたほうがおいしいの。
二人で行って、それぞれがタンメンと餃子を頼むと「ニコニコ」という合言葉が厨房で飛び交い、タンメン二杯、餃子一枚の時は「ニコイチ」。パンパンパーンって感じで感動してたね。
で、すごく安くはない。タンメン餃子で当時1050円じゃなかったろうか、すぐそばに激安のラーメン屋ができたことがあったが、すぐに沈没してしまった。洲崎では敵がいなかった。うまいものには金を出すんだよ。来来軒という名前を舐めちゃいけない。全国で何軒あるのか知らないが、いくつかはこの店のような驚くべき味を提供しているはずである。
銀座のママにこの店のことを教えたら、親しいとおぼしき男性とタクシーを飛ばしてよく通われていた。
そんな店だった。教えるんじゃなかった。
確か2008年だったか、前を通りすがると店が消えていた。
さまざまな説があるが、裏取りしていないので閉店の理由は書かない。
現在、以前の店から数分のところ、永代通りに同じ名前、看板でタンメン、餃子の店が出ている。
あの家族は誰もいない。ファンだった男性が、教えを乞うて店を「再開」させたらしい。
餃子の味はほぼ再現できている。残念ながらタンメンは元のものとは同じ味ではない。初めて入った時は、途中で箸を置いて帰ろうかと思った。野菜が煮すぎでぐずぐず、麺が太すぎ、味が薄い。似て非なるタンメン。
最近は味は近づいてきた。ただ、野菜の扱いにむらがある。麺は自家製で打てるよう努力して欲しい。
頑張れ。たまに行くから。
この写真は30年位前に私が住んでいたところから見た豊洲方面の様子。今では高層マンションが隙間なく並んでいて、面影もない。