猫との戦い エピローグ

中抜きでいきなりエピローグ。

昨日のを読んでいない人は、まずそちらからお願いします。

トラとの凄絶な愛の物語をこなしてから、私は猫と心が通じ合うまれな人間だという評価が生まれた。
家族の間でだけだけど。
自分でもそう信じきって、町の猫たちと目でうなづき合い、物理的な接触はなくとも心と心の深いところで絆をむすんでいた、んだけどなあ。
世界中どこでも猫の言いたいことはわかっていたはずなんだけど。

7年くらい前だろうか、私は大儲けをたくらんで、ハワイに1週間ばかり出張した。
ウハウハになるはずが、そんなこともなく事態は収束していったのだが、仕事とはまるで関係なく、「いない間に連れて来ちゃおうぜ」という極悪なたくらみが実行に移され、真っ黒に日焼けしてストレスなく健康そのものに見えながらも、疲れた顔をした私が、ドアを開けると手のひらに乗るくらいのつぶらな瞳をしたシマの入った子猫が私を見上げていた。

マンションで猫を飼うことには、どうしても抵抗があって、どんなに娘にねだられても却下していたのに。俺は幽霊か。
猫は外を自由に走り回り、深夜の猫の集会に出て、あちこちで気の向くまま飯を食わせてもらい、違う名前で呼ばれてこそ幸せな猫生を送れるのである。
そう信じてたのに。

見ちゃったら、どこで猫を見かけても「どちたの?んー?どちたの?」と手を出して触ろうとする私に抵抗するすべはない。
「あらー、どこから来たの?おめめがまん丸だね。ご飯もらった?」
といきなり全開モードで猫に突進して行った。
「お名前は?」
「もみじ」
君たちに聞いてるんじゃないよ。
私は猫に聞いている。世界中の猫と心が通じ合ってるんだから。
「秋に来たから、もみじ」
まあ、いい。
「もみじは人が好きでちゅねえ」

絶好調で猫との距離を詰めて行った。
すぐに私の肩まで乗ってきて、耳たぶをふがふが甘噛みしてみたり、腹の上でひっくり返って寝てみたり、庭で拾われてきた野生児とは思えないインターフェイスのよさである。
可愛くて可愛くて、ずっと猫の後をついてまわった。

すると3日くらいで全身に赤い斑点が出た。痒い。
「もみじはダニや蚤がたくさんいまちゅね」
ということで、動物病院で何本も注射を打たれ、グルングルンにシャンプーをされ、首周りに蚤ダニとりの薬を塗りこめられ、綺麗な身体で帰ってきた。

風呂に入ると必ず飛んできて、湯を舐める。
猫じゃらしを必死で追いかける。
キッチンで水を出すと、水が出ることが不思議で手を出してくる。

生活は一変した。

もみじも私の無限の愛情にこたえてくれた。
が、3年くらい前まで。

私は猫を抱っこするのが大好き。
もみじは大嫌い。

会社に行っていたころ、食事出しは私でない人間が執り行う。
会社を解散してからも、そこに変化はない。
そこで脳みその小さい猫は、餌をくれる人、ウンチを掃除する人が愛情の一番濃い人だと勘違いしてしまった。

だから抱っこで愛情を伝えたいと思ったのだが、思いが届かない。
嫌がって死にもの狂いで逃げようとする。
私は離したらそれで私たちの愛の暮らしは終わると思っているから、さらに強く掻き抱く。

それが決定打になったね。
私の手を鼻息荒く思いっきり噛んで、まっしぐらに別の部屋に逃亡した。
血の玉がポタリポタリと床に落ちた。

その頃から私がクシャミをすると、どこからでもすっ飛んできて私の無防備な足を噛むようになった。
私のクシャミが許せないほど嫌いらしい。
そばを通りかかると爪を出してちょっかいを出してくる。
猫じゃらしをパタパタさせると先端の面白いはずのところでなく、猫じゃらしを動かしている私の手を狙ってくる。狙って噛みにくる。
そうなれば私も防御せねばならないので「やめれー」と振りほどく。爪が出る。私は決してもみじを叩かないが、もみじは爪と牙の攻撃を緩めない。

というようなことのバリエーションが100くらいあって、私の腕はもみじとの戦いの跡で埋め尽くされている。おじいさんの老人斑のように見える。えーと、どれが老人斑でどれが傷跡なのか分からなくなっている。

寝ているときは3秒くらいは触っても気持ちよさそうにしているのだが、それを超えて私の手であることに気がつくと、噛む。

飛騨高山でまたたびの木を編んだボールを買ってきてあげたりしているのだが、私からの贈り物であることは理解しないで、顔を涎まみれにして追いかけている。一緒に遊ぼうとすると噛む。

もみじとは現在わかりあえない関係になってしまった。
しかし、私はこれからももみじを抱っこしようとし続けることを決めた。
いつかもみじの凍った心を溶かすのは私しかいない。

でも何故か妻や娘とは仲良くやっている。

もみじの写真をスキャンしていない。
仲良くなったらご紹介します。

世界の猫たちです。