猫との戦い プロローグ

私はやっぱり猫が好き
三谷幸喜、使ってくんないかなあ。何もできないけど。

小学生の頃、譲られた「トラ」という猫を猫かわいがりした。
かわいがるといっても田舎の猫なんで、いつもべったりくっついているわけがなく、ほとんど外をうろついていた。夜猫同士のあの心も凍るような喧嘩の叫び声には耳をふさぎたくなったものである。
トラはその頃はどえらく強かったようで、かすり傷を負って帰ることはあったが、軽く舐めるだけで平気そうだった。

何故そのようなことくらいで強かったと判断できるのか。
トラそっくりの茶色のシマの小猫が我が家周辺にうようよいたのである。
とにかくお強い。

真昼間から塀の上で長々と交尾されていたりする。
最初は何をしているのかわからなかったのだが、あまりしつこいもんだからこちらも地道に眺めているといろんなことが分かるものである。
うちのトラはとにかく長い。で、雌猫の首筋を噛む。「イター!」と雌猫も抵抗するのだが、トラは一切動じず、「それがどうした」と私に気がついても恥ずかしがったりしない。
猫には公然わいせつ罪は適用されない。別に羨ましくもないけど。

中学生のころからか。そのトラが歳をとるにつれて、喧嘩で悲惨な状態で帰ってくることが増えてきた。
帰る、というより、たどり着く、という言葉が正確なくらいひどい傷で顔が変わっているほど。つぶれた目から血の涙を流し、体中に深い手負い傷。
何をどうしていいのかわからないほどなのだが、当時の下関に動物を病院に連れて行くという発想がない。
猫も動くのを嫌がってまともな手当てをさせてくれない。
自宅が医院だったが、精神科だもん。

人間が飲む抗生剤を小さく砕いて無理やり口に押し込んだりして、しばらく様子を見ると、意外にこれが元気になる。
またひどい傷を負ってくる、の繰り返しなんのだが、まだ回復力があったのだろう。

深夜になると2階の私の部屋の外から「あけてくれよー」とささやく。
私は上司の声が聞こえなかったことは何度もあるが、猫の声を聞き逃すことはない。たとえ寝ていてもだ。
窓を少し開けてやると、すぐに私の布団にもぐりこみ、全身の力を抜いて溶けながら寝ていた。
それが毎日のことであったが、かつての傷がトラの体を蝕んでいた。

トラの皮の下に膿が溜まって来たのである。あちこちに開いた穴から凄まじい臭いの膿がじくじく出てくる。家族はそんなトラを見捨ててしまい、私が膿を押し出しながら消毒液で拭いてやるのを鼻をつまんで見ていた。

このあたり誇張がありますか?私の家族の方々、読んでいらしても優しく見守ってね。原則事実に基づいていますが、多少のことはね。

そんなわけで瀕死の猫を私は何とかしようと手当てに明け暮れた。
抗生剤が効いたような様子もあり、そんな状態でもトラは出かけたりしていたが、やはりここまでくるともう「回復」は見込めなかった。

大学の受験で2週間ほど東京にやってきた時に電話を入れても、トラの話題は出なかった。
特に心配もせず、受験に来たのにポルノ映画を見に行ったり、原宿に行ったり、時々試験を受けに行ったりで、トラのことは気にしないようにしていた。
正確に言えばポルノ映画見ている時に飼い猫のこと思い出す奴はいないね。

下関に帰ってきて、駅に迎えに来た母親から聞かされた。
「あんたが心配するといけんけえ電話じゃ言わんかったけど、トラがもうダメそうなんよ」
私は意外に冷静だったが、早く会いたかった。

自宅でダンボールに囲まれて横になったトラは、ときどき外に出たそうに身体をひねっていた。
私はその頃ルーティンとなっていた膿の押し出しを繰り返し、傷口を消毒し、抗生剤を口に押し込んで、もう毛につやのないトラをずっと撫ぜていた。
猫は死ぬときには身を隠す、といわれる通り、何度も外に出ようともがいたが、どうしても自宅にいて欲しくて、なだめるように撫ぜ続けた。

深夜になって寝てしまったのだが、翌朝様子を見るとすでに堅くなってしまっていた。

庭に深く穴を掘って、埋めてやった。

家族みんなが「あんたのことを待っとったんよ」と言ってくれた。
そうかな、そうだな、と思った。

なぜ、この話が「猫との戦い」につながるのかは明日を待て。

だんだんこのブログ何だかわからなくなってきてません?
まずい。

ともあれ、それ以来どこに行っても猫がいれば必ず写真を撮っている。

ロンドン時代、自宅近くで暖かいと外に出ていた猫。