オマーラと12年ぶりの再会

12年ぶりに会いに行った。
こういう場合、ハグしてお互いの健康についての軽いやり取りがあって、じゃあ、軽く一杯、というのが常道なんだろうけど、それはやめにした。
友人に誘われて、ブルーノートの公演に行くだけだもん。

ドンドコ楽屋へ入って行ったら、どれだけ「12年前にインタビューしたんだよ、コンサートの楽屋で笑顔をかわし、リポートを雑誌に書いたんだよー」と叫んでも、「それがどうした」ということになるのは私でもわかる。年取ると、やたら強引になる人と控えめになる人がいるが私は後者だ。

12年前のブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ騒動の時、朝から景気のいいのや、しみじみした曲をディレクターがガンガンかけてくれたので、放送ブースで踊っていたのが私だが、そもそもラテンのステップなんか全然知らないので、くねくね踊りで人様にお見せするものではない。

でも、そんなことしていたおかげでインタビューにも行けたし、おらおら顔で楽屋にも入り込んでいた。
オマーラは楽屋でもいつも笑顔で、誰にでも優しく、顔をしかめることなんかあるんだろうかと思った。
ちょっと想像できないす。

舞台裏では他のメンバーも目の色変えて気合を入れている人なんて誰もいなくて、「何?このリラックスしすぎているかもしれないムードは」とすこーし心配したのだが、コンサートが始まると会場がうねり、床が抜けんじゃなかろうかというほど、観客を沸かせて、笑顔で帰っていった。

当時のメンバーはすでに亡くなっている方が多く、訃報を目にするたびに「よくここまで生きたもんだ」と感心しながらも、淋しくてCDを聞いたものだ。

実はオマーラ・ポルトゥオンドも亡くなったような気がしていたら、怒られた。
「勝手に死なせるな」。
ごめんなさい。
一時次々に主要メンバーが亡くなった時に「ああ、オマーラも」ってインプットされちゃってたのよ。
でもそのおかげで来日すると聞いたとき、驚きながらも嬉しくて小躍りしちゃったもん。確かブエナ・ビスタのあとも何度か来日しているんだけども。

コンサートでは少しお年を召したかなと感じたが、ここぞというときの声の張りと伸びは変わりなく、舞台に若い兄ちゃんを連れ込んで、じゃなくて、召し上げて、くっついて踊ってたもんな。精神的に歳をとることを忘れた方である。

お客さんは12年前のコンサートの時はもしかして中学生か高校生?という若い方もいらしたが、いい感じで髪が白くなられている方々もいらしていた。
みんなオマーラが手を伸ばしてくれるので、タコの足が次々に出てくるように握手していた。
念力を送ったのだが、私のところには来てくれなかった。

店長さんが「楽屋へいらっしゃいますか」と誘ってくださったのだが、でかいこと書いてた割に、ひるんでしまい、遠慮してしまった。当時の招聘関係者はすでに挨拶に行っていたらしいが、ここで足を踏み出せないのが、私の限界。
「行っときゃよかった」と朝になって後悔しているのが、悲しい習性。

オマーラ、次に来る時にはもしかして私は赤いちゃんちゃんこ着てるかもしれないから、そのときはご挨拶させてくださいね。

イブライム・フェレールと一緒に歌っている「キサス・キサス」。