さよなら、僕のサンダル

もともと買い物が好きではなくて、持っているものをできるだけ長く使うことで生きていくことにしている。特に意地を張っているわけではなく、そんな身体になっちゃったのである。身体じゃなくて哲学か?いや、性格かな。

であるから、本、CD以外のものは衣服、オーディオ、PC等の機械類も非常に長く人生をともにしている。あまり長くなると、もう身体の一部と化してしまい、引き剥がせなくなる。馴染むということは愛である。私の周りは愛だらけ。愛っていいよ。人間じゃないからずっと相思相愛だし。
人間からの愛も欲しいが、そちらにはあまり縁がない。

衣服類で着用10年以下というものを探すほうが難しい。一番長いのは数十年というコートがあるが、季節モノなんでそんなに痛まない。Tシャツでも15年というものがある。縫製、生地がしっかりしているからである。これはもう、今でも着た瞬間肌に吸い付く。ピタッとくるというのではない。大きなものでダランと着るのだが、着用した瞬間に肌と化している。この感触わかりますかね。
家族は「また同じもの着ている」と喜んでいるかと思いきや、苦い顔である。お金のかからない、いいお父さんだと思うんだけど。

自宅で着るTシャツは穴が開いても着る。寝巻き代わりだから何の問題もない。今着ているのはなんだ?ハワイで買ったやつだ。そういえばこれも15年選手。愛し合ってるよな、俺たち。カアナパリ・ビーチ・マウイって書いてあるもんな。私もハワイにくらい行くことがあったんだよ。えへへ。

しかし、何事にもにも寿命がある。一昨日暖かくなってきたのでサンダルを出してみたら、悲しいことになっていた。去年しまった時にわかっていたはずなのに、びっくりしたのは何故だろう。また来年よろしくな、と挨拶したはずなんだけど。

こいつだ。15年連れ添った恋女房だ。もともとは綺麗な皮の色をしていたのだが、馴染んでくるに従い、私の足の油と垢で変色してしまった。そこがまた可愛い。こいつも足にピッタリ張り付く。

ブランド銘なんて最初からなかったか、とっくに消えてなくなっているかのどちらかだが、最初からとでも相性が良かった。どこに行くにも一緒だった。
それに穴が開いてるじゃん。虫が食ったのかと思ったが、去年からそうだったと妻が言う。

裏からは、こんな感じ。

ゴムがすっかりなくなっていますね。

昨日、これで出かけたら、半ば予想はしていたが、穴から砂が入ってきてなかなか塩梅が悪い。
これはさすがにもうインドに持って行くしかない。

インドは道端にどんなものでもあっという間に直してくれる名人がいる。靴でもバッグでも、いくら堅くても様々な針と糸、あるいは車の廃タイヤとはさみと糊で私からすれば完璧に仕上げる。
ケリーバッグだって問題ない。

5年前、インドの乾燥に耐えかねてか、私が愛しすぎたせいか右のサンダルの親指の根本が当たる場所がばっさり裂けてしまった。これは困った。歩くのにも支障をきたす。
ゴアという場所で、誰かいないかと探したら、ちゃんと見渡せる範囲にいてくれる。
「これどうにかなるかな」と手渡してみたら、何も言わずにいきなり針と糸で縫い始めた。
「5分くれ」というので、ぶらぶらして戻ったらがっちりくっついていた。
履いてみると、太い糸が少し柔な私の足裏に刺激があったが、それもまたマッサージのようで心地よい。
わかってもらえるかな。
表から。こちらからだとやはり糸が変色していてわかりにくいかもしれない。

裏からだと手当ての様子がわかる。

いい出来だ。

今日のタイトルは「さよなら・・・」だが、実は違う。
次回インドに持って行くのである。廃タイヤのゴムを貼り付けてもらおうと思う。
間違いなく復活する。
昨日履いてみてわかったが、かかと部分はもう数ミリしかない。

まだまだ15年は一緒にいてもらいたい。
そうすると死ぬまでか。