ミャンマーの日本食屋さん

ミャンマーの記事が一杯である。
完全民主化とまでいっていないんだけど、アウン・サン・スー・チー女史が解放され、政権側と折り合いを付け出したからどの国も企業もOK!GO!ということになったのでしょうかね。
日本企業もインフラ整備事業に突っ込んでいって、何とかこの国での存在感を強めようと必死である。

ミャンマーはなかなかにわかりにくい国で、アジアでは普通の多民族国家である。その上、軍事政権が中央では権力を完全に掌握していたので本当のことがわかりにくい。
主に北部に集まっている少数民族武装して、自治を行っている場所もあるが、今後彼らがミャンマーナショナリズムに組み込まれるのかはかなり疑問の残るところである。(ここで言うナショナリズムは国民としてのアイデンティティを共有するという意味で使っています)

スー・チー氏が議員になったからといって全てを変えることはできない相談だし、そもそも彼女が少数民族の分離独立を認めるかどうかについて明言をしていない。
ミャンマーという国名を拒絶している方々も大勢いらっしゃるが、これは軍事政権が勝手に名称を変えたからという理由で反対されているということであるなら、ちょっと違和感が私には残る。

いろんな方がいろんな持論を持ち出されるので、これだと言うことが難しいが、前述の通りミャンマー多民族国家である。(これについては強硬に単一民族、単一言語の国だったと主張されている方もいる)しかし、現状を見る限りとても単一民族とはいえない状況であり、多数民族ビルマ族の名前だけをとってつけたビルマという名称自体国状に合っていない。しかもこの名称はイギリスがこの国を植民地にしていた時によく使っていた理由から国際的にもビルマと認められるようになったいきさつや、ビルマだとビルマ民族の国というニュアンスが強くなるため、民族色を薄めるためにミャンマーに変更したとうのはある意味では筋が通っている。

この国のビルマ語での正式名称は、ビルマという国際名称とは別にミャンマーへの名称変更前から常にミャンマーという言葉が使用されている。ビルマという国名は口語で使われることが多い。そんなわけで国によってビルマミャンマーかは分かれており、また同じ国でも、例えばアメリカでも新聞によってビルマになっていたり、ミャンマーになっていたりする。

歴史的にもなかなか複雑で民族構成も時代でずいぶん変わっている上、簡単にこんなふうに出来上がりました、とはとてもいえない。

確かめようがないが、スー・チー氏のパートナーであったイギリス人はMI6の情報員であった可能性を指摘するジャーナリストもかなり多く、そのように私も推測している。
と言って、民主化を否定する気もありません。
ただ、ミャンマーについて単純な図式で善玉、悪玉を分けることは非常に難しいということも頭に入れておいたほうがいいんじゃないかな、ということです。

15年前に行った時はまだ、強制両替が残っていて、これが大変ややこしく、外貨獲得のためとはいえメチャクチャするなあ、と腹が立ったが、旅の最中怒ったのはこのことだけで、他にこんちくちょう状態になったことはない。出鱈目に暑かったことくらいか。あと、私の身なりを見て、やたら安い宿しか紹介しないタクシー運転手もいたな。ありがた迷惑だった。
人は親切だし、食い物はビーフンがうまいし(他のものはあまり私の舌に合わなかった)、イギリス領だったため、英語で旅をするのには何の不自由も感じない。これはいいことかどうかわからないが。

で、この国で出くわしたいくつかの出来事の中で、私が個人的に「どうなっちゃったんだろう」と気をもんだ事件がある。すごく辺鄙な場所でのことではなく、首都ヤンゴンの小さな日本食屋でのことだった。なかなか日本食屋には行かないのだが、ヤンゴンにまさか日本食屋があるとは思いもしなかったので、怖いもの見たさで覗いてみた。ミャンマー人がやっているのかと思っていたのだが、おばさんとおばあさんの間くらいの日本人女性がほとんど一人で切り盛りしていた。

いつもの貧しい日本人バックパッカーの格好で店内に入ると、そんなに日本人は来ないだろうに、ものすごく扱いが悪い。ビールも飲んだのに。味はその扱いのせいで忘れた。可もなし不可もなしだったんじゃなかろうか。どういうことだよ、と気分を害しちゃおうかな、と思っているとスーツを着た東洋人が4人で入ってきた。
すると、驚いたことに声を1オクターブ上げて、「まあ、まあ、よくいらっしゃいました。まずビール
かしら」とよくここまで客を差別できるなとう調子で、テーブルに張り付いている。
「ばばあ、覚えとけよ」と歯軋りしていたら、いきなりおばさんの声の調子が変わった。
「何、あんたたち日本人じゃないの。コリアン?なんで日本食食べに来るの」と激怒りである。
これには度肝抜かれた。
それが商売をする態度かね。しかも、このあからさまな人種差別。
ミャンマーで日本料理屋のおばさんが韓国人を罵倒する。
とんでもないもん見ちゃったよ。
韓国人のビジネスマンたちは困った顔をしながらも、苦笑いをしてくれていた。紳士の対応である。
なのにだ、おばさん、いちいち料理を運ぶたびにぶつぶつと文句をたれている。

恥ずかしくて、私も中国人のふりをしようかと思ったが、もう遅い。
しかし、そういう光景を見ているうちに当時ミャンマー日本食屋を開くまでいかなる苦労があったのだろうと別のことを考え始めてしまった。
あの頃は日本人コミュニティなんてあったとしても、ほんの一握りだったはずで、淋しさも募っていたのではないか。気まぐれに訪れる金にならないバックパッカーじゃなくて、ちゃんと高級なものを頼んでくれて、常連になって、おばさんの話し相手にもなってくれる日本人ビジネスマンをずーっと待っていたのかもしれない。

少しだけ怒り、恥ずかしくなり、淋しくなるという三つの感情が出入りしたミャンマー日本食屋。
今でもやっているのだろうか。
ずいぶん立派なホテルが次々と開業しているようだから、あのままだと立派な身なりの日本人ビジネスマンが来ても暖簾をくぐるとは思えない。調べてみようという気になれないのは、やはりあのときの一連の対応のせいだろうか。

ミャンマーは私が訪れた多くの国の中でも飛び切り信仰が厚い国である。
この国でだけ尼さんに多くお目にかかることがあった。