ふぐの初競り

ふぐの初競りだ。下関の南風泊(はえどまり)市場で初競りが一昨日の夜中、昨日の朝から始まった。
はえどまりなんておかしな地名じゃないか、と納得しない方々に教えてあげよう。
南風は文字通り南から吹く風のことである。それを「はえ」と呼ぶ。何故「はえ」と呼ぶかについては他の人に聞いてくれたまえ。東風がなぜ「こち」と呼ばれるかについても聞いといてください。
「東風吹かば」はいい感じなんだけど、「ハエ吹かば」はなんだか嫌な感じだね。誰か一発全国で歌われるようになるような歌でも詠んでくれないかしら。

南風は関門海峡に吹き込む強い南風のことで、それを避けるために停泊した港が南風泊港なのよ。

実はこの下関の南風泊市場、下関でふぐが取れるから日本を流通するふぐの8割が水揚げされていると思いがちだが、違う。かつては下関周辺でふぐが多く取れるからということもあったようだが、今では日本中から船がやってきて、なぜ下関まで持ってくるという場所で取れたものも、こちらで水揚げする。おかしいでしょ。
これには当然理由があって、下関がふぐの秘密の加工技術を持っているからなのよ。だから下関にはその技術を盗まれないようCIAのような組織が作られている、ということでもあれば面白いねえ。カウンターインテリジェンス専門のさ、ジェイソン・ボーンみたいなのがいたりして。いないと思います。

毒がありますからね。毒取りますよ。皮のはぎ方もうまいですよ。等々で下関に今でもふぐが持ち込まれるんです。
ここまでで「へー」と思った人は「いいね!」押しとこう。

この南風泊市場の競りは毎年テレビでも同じようなこと言って、同じような絵で報道されているからあまり面白くないんだけど、「袋競り」というとんでもなく怪しい競りで取引されます。
築地のように元気良くやりゃいいのに、声はかけるが実際は筒のような袋に両側から手を突っ込んで、おじさんとおじさん同士が指を握り合うのよ。ふふ、ちょっとあれでしょ。
中学校の授業で「袋競りを体験」授業なんかやってほしかったな。男女ペアで。ふふ。

いくらでやりとりしたかが二人にしかわからないってのも、どこか悪いことそうだし、ロマンティックでもあるよね。広告の料金交渉でもそんなふうにすれば、仲良くなれそう。頭にきて相手の指折っちまったぜ、みたいなこともあるかも。
でも、実際にこれでうまくいっている南風泊みたいなところもあるんだから、なくはないでしょう。

今年のふぐは好調そうで、初競りでは昨年の2倍近い取引があったそうで、お安くなっているそうです。

ある女性がこんなことを言っていたことを思い出した。
「ふぐ屋に連れて行かれるかどうかで、相手の熱意が測れるよね」
げげげ、なんでそんなことになるの。ガード下でなけなしのお金でモツ煮を奢ってくれるのも愛情たっぷりじゃないの?
「モツ煮って何言ってんの。最初のデートでモツ煮だったら帰るよ。最初はふぐよねえ」と女同士でうなづきあっていた。こいつらふぐのうまさより値段だぜ。世の中そんなことなの。少し昔の話だからもうそんなことないでしょ。
今でも言っていたら阿呆ですよ。

そんな私は東京ではふぐなんか食わない。
高い、薄い、少ないの3拍子そろってるもん。
はからずしも下関で育った私は子供の頃から毎日ふぐ三昧だった、というのは真っ赤な嘘だが、数年に一度の超ハレの日、例えば親戚一同が集まるとか、そんな日にはみんなでふぐを食べた。あんまり久しぶりなんで「そうか、ふぐってこんなのなのね」という印象しか残っていないが、大学に入って帰省するとふぐを出してくれるようになった。食べに行くとどえらく高くつくので、山陰から行商にやってくるおばさんに事前に電話しておいて、私が着く日の昼間に刺身にしてもらうのでありました。馬鹿でかい大皿だ。山陰のおばさんは薄く切るなんて技術は持っていないので、切り身が厚い。
これが醍醐味だ。東京で食べるような紙のような刺身で味なんかわかるわけないじゃん。
あんまり量が多いと途中で嫌になって残してしまい、翌朝の味噌汁に放り込んだりした。これはあらじゃないよ、身を入れるんだからね。それはうまいよ。

紙を食いながら「やっぱり冬はふぐだな」と話しているのを聞くと、こいつらはやっぱり馬鹿だと思ってしまうのは田舎で贅沢三昧していたせいですから、許して。

なけなしのお金でふぐをご馳走してくれていた母親は、今は東京生活を満喫しているので、帰っても自腹になってしまった。どうすんだろうね、こういうときは。自腹じゃ嫌だもん。
これからはふぐなしかな。なしだ。ああ、淋しい。

11月には帰るよ。「ふぐ食おうぜ、奢るよ」という奇特な方がいらしたらご連絡ください。
インドでの面白い話をしてあげます。

えーっと、これは親父が生きていた時に満潮というラーメン屋で飯を食ったときの写真だ。
普段はこんなとこだった。