むつみ村のお祭 その2

私がむつみ村としか書いていなかったので、おそらく99%の方が「むつみむら」と読んでいるだろうな。私もそうだといいなと普段から思っている。
しかし、現実は厳しい。
「むつみそん」が正しい。

どうして「むつみむら」じゃないのかしら。
こっちの方がかわいいのに。
「むつみそん」だと堅苦しくて、官僚がえばりくさっているようなイメージがあるよ。
きっとそんなことはなくて、毎日むつみ村のために汗をかいていらっしゃるはずだが「むつみそん」じゃあねえ。西のほうじゃ「そん」が優勢なのかな。「むらおこし」じゃなくて「そんおこし」か。
いずれにせよ「むつみそん」が行政単位としての正式名称である。
心して対応に当たっていただきたい。

さて、我々がゆとりパークたまがわで拾えないもちに手を焼いていた頃、むつみ村B&G海洋センターでは本物のむつみ村祭が始まっていた。
この「海洋センター」ってもの不思議である。
いや、30分も車を走らせりゃ萩の海に出るんだから、本当は不思議でもなんでもないんだけど、むつみ村自体は山の中だ。どんだけ車走らせても同じような山しか見えてこないので、自分がどのあたりまで来ているのかわからなくなるほどのところである。
そんな場所に「海洋センター」をわざわざ作るってのはどうなんかね。

B&Gっていうのも全然わからない。バーバ&ジージってことは絶対にない。
ちゃんと聞いときゃよかった。
むつみ村の人口は2193人。当然前後しているだろうが、いい感じの数字だ。
小学校も中学校もあるが問題は近くに高校がない。
やはり子供の数が足らない。
ガキを育てるのにこれ以上の環境はないのだが、若い人がねえ。

今、滝村にむつみ村に移住してむつみ村を全国区にすべく尽力しろ、とケツを蹴っているのだが、「半年くらいなら」とかいい加減なことを言っているので、「それではダメだ、終の棲家を見つけるつもりで行け」と説得をしているところである。
「おっちゃんのほうが暇なんだから、おっちゃんが行けばいいじゃん」と言われている。
そういえばそうだな。

B&G海洋センターはやたら広くて、建物の中に色々な設備が整っているようだが、グラウンドに大きなスペースを割いている。むつみ村運動会も確かここでやるんだったような気がする。
かよちゃんは「私は玉入れに参加したのよー」と恥ずかしそうに語ってくれた。

そのスペースをふんだんに生かして祭が催されている。
隅に大きなステージが立てられており、やる気スイッチが入りまくり。

たくさんの屋台って言うのかね、それぞれの職場やご近所さんがテントの下でとにかく食い物を並べまくっている。つまり、どこを見ても知り合いがお店のご主人となって活躍しているのである。
ということは、端から食っていかねばならない。これがなかなかのもの。
到着した時点で神楽は終わっていて、1時15分から始まる「美空ひばり そっくりショー」を待っている。時間があるので昼飯がまだだったかよちゃんと滝村はここで食事をということになった。
が、私だけ食わないわけにもいかない。いや、食いたい。

しかし、私はつい今しがたシシうどんの大盛りを食したばかりである。
これ以上食うと晩飯がおいしくなくなる。どうしたもんか、と悩んでいたがやはりここはシシ鍋ははずせんだろうと腹をくくり、3人して山盛りの具が入ったでかいプラ丼を抱えて席に着いた。
しかし、どうしてこんなに入れるんかね、と聞いてみたら千人分作ったけー、と答えてくれた。
どうして千人分作るかな。勢いってもんだろうか。シシ鍋班は一ヶ月間は毎日シシ鍋だ。
こんなんで作ってるんだもん。

シシ鍋はこちら。
何故かかよちゃんが揚げたこ焼きまで買ってきた。

ああ、おいしい。
わしらは自然を食らわしてもろうとる。
イノシシの肉を食らわせてもろうとる。
野菜は全てむつみ村で作られたもの。
うまくないわけがない。
私が死んだら火葬なんかにしないで身体を切り刻んで山に放り投げておくれ。
獣や鳥や昆虫に食わせてやっておくれ。
捕食の頂点にとりあえず立っている人間というものに生まれたので、さんざん殺した生き物を、育った野菜を貪り食ったのだ、最後くらいは「ありがとうございました」と食べていただくことこそ「地球にやさしい」んじゃねーの。
人間としての尊厳?クソ食らえ。
人間である前にこの惑星で生かしていただいている生命である。最後くらいは食物連鎖の輪の中に入れてもらうのが当然だろう。
ブッダは前世の物語ジャータカの中では飢えた虎とその子らに自分を食わせたぜ。
涅槃に入る前には「墓を作ってはならん」と言い残したぞ。
親鸞は川に流して魚に食わせよ、と常々話しておられたぞ。

そんなわけで、祭にまで至らず今日もまたお時間となりました。

第3極だなんだにはさっぱり興味がないんで、明日はついに祭のクライマックスだ。お楽しみに。