ネパールでイスラム教徒の祭へたどり着く その2

私を案内して自分の家まで連れて来てくれたのは、
アルンという背は低いががっちりした体格の30代のいい男である。

名前もわからない駅で降りるとアルンは歩いてもほんのすぐのところだと私をグイグイ先導してくれる。
歩いてもといってもリキシャも何もないので駅で降りれば、貧富の差別なく歩くしかない。みんなで散歩のような心温まるそぞろ歩き。
こちらは村へ向かう人たち。

こちらは線路を伝って自宅に帰る人たち。

道は当然舗装などされておらず、一歩進むたびに微小の土煙が立つ。
こういう土は雨が降ると始末に悪い。
雨でなくてもカメラには嬉しくない。
どんなに注意していてもどこからか粒子が入り込んでくる。
それは仕方がないが、歩けども歩けども、「すぐそこ」の距離は変わらない。
どこまで行くんだろうと思っている時は、時間も距離も長く感じる。
面白いね。

30分だか1時間だか歩いてようやく彼の家に着いた。
周囲の家に比べると際立って造りが良い。金持ちか?
日本じゃラジオの番組持ってても金持ちにはなれないよ。
屋上には馬鹿でかいパラボロアンテナが設置されている。
ちょっと見てくれよと引き入れられた部屋には、10台以上のなんだかさっぱりわからない機械が並べてある。
2ヶ月前まではこの村には電気が引かれていなかったが、ようやくこれでテレビが見られるようになったらしい。彼がアンテナで受信してケーブルで村中に配信しているのだそうだ。
個人ケーブル会社である。しかし村人の数は少ないよ。ちゃんと初期投資回収できるかね。
免許とか持っているのかどうか知らないが、村人が喜んでいるのなら良いことなのだろう。
受信料を取っているのかどうかは不明。
で、テレビはというと停電中で映らない。
しょうがないね、なのである。

カトマンズでさえ冬は8時間近く、夏は半日近く停電するのである。
この国の人は親切でやさしいのだが、同時にバイタリティに欠けるところがある。
お金もないし、産業を興すにもそのきっかけとなるもの(たとえば鉱物資源とか)がないので、観光以外これといった産業が発達しない。
その観光も国王家一家惨殺事件やマオイストとの戦いで、観光客が一時は激減したため青息吐息状態である。
まあ、これからだということで、アラブ諸国へみんな出稼ぎに行ったが、その砂上の楼閣は崩れ落ちる寸前である。
ヒマラヤはいつ見ても、背筋が寒くなるくらい美しいが、産業を興す地の利に恵まれているとは言いがたい。
どうしたもんだろう。
これ2008年のことなんで事情は大きく変わっているかもしれない。多分変わってないはずなんだけど。

横道にそれた。

なかなか祭に繰り出さない。
食い物、チャイと次々に出てくるんだけど、祭だろ主役は。君んちを見学に来たんじゃないんだよ。
「祭りに行くか?」
そのために来たんだろうが。
「この祭りは『ムハッラム』というイスラム教徒の祭りだ」
「え、ヒンドゥー教じゃないの?」
「俺、そんなこと言ってないもん」
「ムハッラムって何。どんな内容なの?スンニ派シーア派?」
「そんなこと知るわけないじゃん。俺、ヒンドゥー教徒だもん。とにかくこの周辺の村からもイスラム教徒がみんなやって来て大騒ぎになるんだよ」
もしかして、内容全く把握してないんじゃない?
「ムハッラム?アーシューラーじゃなくて?」
「ムハッラム」
ムハッラムってイスラム暦の中のある月のことを言うんじゃなかったか?
答えのないなぞなぞ問答のようなことになってしまった。

とにかくこんなとこでチャイ飲んでる場合じゃないんだよ。
出かけますよ。

その3に続く。