ネパールでイスラム教徒の祭にたどり着く その3

村のはずれの広場にやってきた。
ただ、そこらじゅうが広場みたいなもんなんで、特別な設備は一切ない。普段そこで運動会をやっているわけでもなさそう。ただただ広い。東京ドーム一個分まではないけど。

家の数も見たところ限られている村にすごい数の人間が集結している。
さらに続々集まりつつある。
祭りはモスクを中心に行われているわけではない。
モスクなんか影も形もない。
ただの広場に10数メートルの高さの金色のビラビラで飾られた塔が建てられている。
どうもそれが祭りの中心らしい。この塔の意味がさっぱりわからない。
どことなく南インドヒンズー教寺院に形が似ている気がしたが、多分偶然であろう。
その塔の下では男たちが太鼓を叩いて踊っている。

確かにこれは祭だな。
塔の周りで人が輪を作って踊っているなんてことはないが、堅苦しい宗教行事という雰囲気ではない。なんなのかしら。もう一度聞いてみた。
「これ、もしかしてアーシューラーじゃないの?」
しかし、私の知っているアーシューラーシーア派の人々が殺された第三代イマームであったフサインの死を追悼する殉教祭で、身体に鞭を打ったり、傷つけ血を流しながら泣き叫ぶという壮絶なものであったはずだが、どうも様子が違う。
アーシューラー?これはムハッラム!」
どうもそうみたいね。
みんな泣いてないしね。

ヒンズー教徒も見物に来ているようだが、あまり関心はなさそうで早々に引き上げていく。近くでミシン仕事をしているアルンの友人も腰を上げてのぞきに行くわけでもなく、仕事を続けながら私に、どこから着た?何しに来た?といつもの質問攻め。私と話をしているほうが楽しそう。

「アルン君、一緒に輪の中に入ったりしないの?」
「しない」
「何で」
「俺ヒンドゥーだもん」
「だけど、村の祭だ、って言ったじゃん」
「村で祭なんだよ」

「まっ、こんなとこかな」で10分もすると家に戻ろうとする。俺は絶対に帰らん。何のためにここまで来たんだよ。
「いやいや、もう少し。それから彼らはスンニ派シーア派か聞いてくんないかな」
なにやら友人とこそこそ話していたが、堂々と「スンニ派だってさ」と答える。
お前、同じヒンドゥー教徒に聞いてわかんのかよ。
ちゃんとあの輪の中の人に聞いてよ、なんだが、あまり近寄りたくないらしい。
普段仲良く暮らしてんだろ。このあたりで宗教衝突があるって聞いたことないよ。
しかし、これ以上尋ねても真面目に調べてくれそうになかったのであきらめた。

と、そんな時群集が動いた。
濃い霧にも見える土煙の中に見え隠れするのは棍棒を手にした若い女性たちである。
大声を上げながら走ってくる。
一瞬怯んだが、カメラを構えて前に出るとアルンに腕を引かれた。
「興奮しているから、下がっていたほうがいい」
確かに私を見つけると笑顔も見せながらではあるが、立ち止まり、棒を振り上げている。
恐くはなかったが、何がなんだかわからないので誰か教えて欲しい。
でも、聞ける相手がいない。
そんな集団がいくつか通り過ぎる。
中には目がうつろになって、明らかに半トランス状態の少女もいる。

接近しての撮影はやめて、望遠で激しく動き回る彼女たちを追った。
この後どこで何があるんだか知りたくて、あとを追おうとしたが、またアルンが止める。
お前さ、祭自慢してたじゃねーかよ。人が一杯、すごく面白いって。
しかし、もう完全にやる気なし。これ見て何が面白いと私を引っ張る。
「ジャナクプルへの列車がなくなるんだよ」
それは困るな。
じゃ、帰るか、と胸の中はもやもやだらけなんだが、駅に向かった。

まさか、ネパールにこんなに多くのムスリムが集まって住んでいるところがあるとは思わなかった。どこで誰が何を信じていようと全く問題はないのだが、
意外であったというのが私の正直な感想である。

それにしてもおかしい。
あの祭りはいったい何だったのか。
あそこまで興奮して棒を振り回すのはシーア派アーシューラーじゃないの。
ただ、ヒジュラ暦のムハッラム月に行われているので、ムハッラムとも呼ぶらしいので間違いではない。
スンニ派だとアルンは根拠なく言い張っていたが、そもそもスンニ派シーア派の違いもわかってなさそうだったもんな。
スンニ派はおそらく間違い。
スンニ派にもアーシューラーは特別な日であるが、シーア派アーシューラーはもっともっと特別である。
全く意味が違う。
あの、思いもよらなかったいきなりの騒ぎはどう考えてもシーア派のもの思えるが、もしかしたら、もろもろの宗教、宗派が混じってああいう形のものになったのかもしれない。

喧騒から離れたところで是非イスラム教徒の方に話を聞いてみたかったが、残念ながら諸事情によりそれはかなわなかった。
今年あたりは行きごろだと思っていたんだけどな。

ちなみにジャナクプルでは私が離れてから1週間後に暴動が起きて、警官が一人死亡している。
こちらは宗教対立とは何の関係もなく、南部ネパール独立派によるものである。
私の知る限りネパールでのヒンドゥー教徒イスラム教徒の衝突は聞いたことがない。