インド式計算術

というたぐいの本が一時バカ売れして、数字についてはゲロゲロの私も「へー」くらいは思った。
インド人は0の概念を生み出したんだから凄いぞ、という認識は大昔からあったんだけど、実際にインドに通っていて、この方々の計算力には舌を巻く、という経験が皆無だったからである。
そんなことを普段から思っていたら、また日経で暗算特集をやっていた。暗算好きな人がいるもんだ。

私はそろばんがスーパー苦手で「なーり」という先生の声をちょうだいするとなんとなく気持ちよくなってしまい、「では」と締めくくられる頃にはすでに瞑想状態に入っていたので、何を教えてもらったのかさっぱり思い出せない。

ただ、小学生の頃、クラスの半数くらいはなぜかそろばん教室に通っていて、暗算では私は誰にも勝てない自信があった。そこで一念発起しないのが私である。そういうことができる素晴らしい人たちがいるんだからなにも私ができる必要なんかないんじゃないの、と思えるのである。
どう、この逃げ腰の姿勢。

九九も苦手だったな。
全部覚えるのはクラスの中でもビリに近かったんじゃなかろうか。
あんなの暗算とは言わないはずなのに。
でも、こうして生き延びている。
えー、もし小学生がこれを読んでいたら、できなくてもいいやとか思わないように。
皆さんご想像の通り、かなり恥ずかしい思いはしましたから。

ところが、大学生の時に天地がひっくり返るかというほど驚愕した。
暗算カッコイイ、と感激したのである。
夏休みに英語の家庭教師をやりました。
何人か教えた中でそれはもう天使かと思うような美少女がいらっしゃいました。
その子の家で二人きりで英語の勉強をしているのは至福の時間だったな。
教えに行くのが待ちきれない。
毎日押しかけちゃおうかと思ったくらいだ。

その子がそろばん何段かで、3桁の掛け算なんか鼻で笑われる。
「じゃ、250万1736X678万8463は?」とマゾヒストになった気分で迫ってみた。
「*%$#’(”@」と即座に回答する。
こっちはまさか答えられると思っていなかったから、計算なんかしていないし、電卓も用意していない。合っているかどうかがわからないんじゃ、話にならない。
電卓を持ってきてもらって、同じような問題を出すんだけど、口で言う数字がなかなか電卓に打ち込めない。どっちが試されてるんだか。
そしたら「ご明算」じゃないの。
試しに「7億4578万8198÷8655は?」というのもやってみたが、なにやら指を妙な具合に動かし、あっさり正解を叩き出す。
「どうしてそんなことができるの」
「そろばんやってましたから」
そんなことが聞きたいんじゃなくて、どこでどうするとそろばんと暗算が重なるの、ということなんだけど、あちらにはその違いはないらしい。
まいっちゃったね。
「英語だってよくできるから家庭教師なんか必要ないんじゃないの」
「大倉さんが教えてくれるからできるんです」とは一言も言わなかったが、そう言いたかったんだろうと今でも信じている。

東京の大学に進学したそうなんだけど、全く連絡をくれなかった。
淋しかったな。

そんなおかしなことを思い出してしまったが、暗算が流行っている。
いいじゃんそんなことできなくても、とバカ丸出しの私は思ってしまうのだが、それが楽しいらしいから文句を言うことでもない。

私が二桁の掛け算ですぐに答えられるのは12X12だけだ。144、と即答できる。みんなはできるかな。

さて、インド式の話だ。
インドで買い物をするときは、嫌でも交渉をしないと他の旅行者に迷惑をかけてしまう。
日本人はすぐに言い値でお金を払うと思われてしまうのである。
下手をすると10倍くらいで吹っかけてくることもあるからな。
そこまで極端でなくても半分にはなる。
実はそれ以下が一般にインド人が払う金額なんだそうだが、「払える人間からは払ってもらう」という理屈には正当性もある気がするので、あまりに非道かつ態度の悪い相手以外の場合は適当なところで手を打つことにしている。

しかし、私が買うものといえば、露天のバナナくらいのもので、普通一房いくらなんだけど朝食用なんで一本だけ欲しい、とお願いする。そんな客はいないので、あからさまに売りたくないという顔をされるが、必ず房から取れてしまったバナナがあるんで、それを掲げて怒鳴りあいの交渉に望む。
バナナの値段で怒鳴りあうときはせいぜい3円、6円程度のことなのだけど、こういうときこそ負けると悔しい。
リキシャの運賃もメーターを倒さないので、乗る前にやっつけとく必要がある。
これは、まあ、旅行者でも許せる程度だと思えば妥協する。

とインド式暗算に出くわした場面を探そうとするのだが、なんせほとんど買い物をしない私にはそういうことがありえないことが今わかった。
でもねえ、お土産屋でどえらく安いスカーフを10数本同行者が買おうとしていた時も店の人間は電卓を持ち出すんですよ。
バカ相手だと電卓で見せないとわからないと思っているのかもしれないが、「いくら」と聞くと電卓を叩いてこちらに向ける。暗算を目撃できない。そのくらいの計算なら私でもできるんだけど、どうしても電卓。しかし、電卓を出されると、こちらも電卓に希望の数字を打ち込めば交渉になるので、いちいち「サーティーンサウザンドアンドファイブハンドレッドフィフティ」とか、もういくらだかわかんなくなっちゃったよ、という事態は避けられるから、ありがたいといえばありがたい。

そんなわけで、インド人がどれくらい暗算に強いのか確認したことがない。
一度試してみたいのだが、通行人にいきなり「47X98は?」と聞くわけにいかないので、どうしようかと悩んでいる。

こいつらはできそうだな。