1月31日

ブログを始めて1年と1ヵ月がたちました、てなことは月の終わりによく書いているから、またネタがないんだろうと思ってる方がいるはずです。そうだといえばそうなんだけど、今日は少し違うんでございます。

1日に「とりあえず今年もブログは書くけど、毎日は止めた」という内容のことを酔っ払いながら書かせていただきました。このエネルギーを他のことにぶつけるとオレは凄いことになるぞ、とうぬぼれていたわけではなく、なんとなく一所懸命書いていることに違和感があったのと、「毎日書く」という自分縛りが辛くなっていたのですよ。

皆様は今日の大倉はどのくらい馬鹿か、と面白がっていらっしゃったかもしれませんが、本人結構大変なんざんす。
自分で面白かったり、腹が立ったり、どうでもいいと思ったりしたことをできるだけ正確に、しかも読んでもらえるように書くということはかなりのプレッシャーがありまして、昨年末はあれで結構苦しんでいたのよ。

だから1日に「毎日は止める宣言」をした時は微妙な淋しさと、開放感があったね。
それで2日、3日と書かないでいたらどうもお尻だか、みぞおちだか、心臓だかがモヤモヤしてきた。それは病気なんじゃねーか、という感じであります。
しかし、人間ドックを避けているのでしかとはわからないが、そんな様子でもない。
4日は書いてみた。それで何か変わったかというとそうでもなくて、「書いちゃった」くらいのもんだったのだが、6日から個人的な事情で書けなくなり、3日間何もできませんでした。
書けないだけじゃなくて、他のこともできなくなっていたので、ただ本を読んでいました。

そうしているうちにどんどん自分を支えているものが欠けていくような、そんな感情が芽生えてまいりました。普通、「書くことは自分の身を削っていくようなものだ」と申しまして、私もその通りだと考えていたんですが、どうも私の場合は書くことで身体に何かを加えているようなんですわ。
おかしなことがあるもんだと思うのですが、9日以降また毎日書き始めてからそのことに気が付きました。

整理整頓が極端に苦手な私で、相変わらず乱雑を通り越して物置となった部屋に籠もってデスクに向かっているわけですが、私の頭はどういうものか、書くことで若干の整理がついていくような気がいたします。
読み返してみれば、タイトルとは何の関係もないことがだらだら続き、これで整理もないもんだと反省もいたしますが、あれはあれで「オレには置いてある場所がわかってるんだから、机を片付けるな」という皆様と同じ状態なんですな。

文体の乱れにつきまして解説いたしますと、本人気が付かなくて、主語、述語が繋がっていなかったりしていることがございます。「てにをは」がへんちくりんな場合もありますね。あれは完全な間違い。
意図してやっていることではございません。

でも、ですます調と、だである調が混ざっているのは深い考えはありませんが、ある程度計算しています。時制をあえて崩してしまうのも、副詞の位置がおかしいのも正しいかどうかは別として、これでいい、と考えて書いております。
本にしてやるとか言われたら、カンガン書き換えるかもしれないけど。

1月は1日に引いた御神籤が全く外れて、心も身体もボロボロになるようなことが続きましたが、それもまた受け止め方次第でしょう。
このブログを完全再開してから、だんだん私にとってのブログの位置づけがはっきりしてきたような気がします。それが何かをまだ言葉にしてはいけない気がしますので、黙ってよ。

そんなわけで、「毎日縛り」を解くのを止めたわけではありませんが、書いているほうがずっと落ち着くので、特別なことがない限り書き続けようかと考えておりますのでよろしくお願いいたします。
お願いになってしまいました。

不思議なことに5日間書かなかったのに、1月は過去最高の読者数、ページビューを記録しております。こんなテーマのないブログを読んでくださる方がいるかと思うと、おかしな人たちだなと思いつつ大変励みになります。
ありがとうございます。

改めて、明けましておめでとうございます。
何かめでたいのはないかと探したら、先日「情熱大陸」で田中慎弥がスタッフを連れて行ったバーの近くに去年立っていた花輪の写真がありました。今この花輪を目指していっても、そのバーには行き着けないと思います。