フカヒレみたいな

フカ、またの名、サメの模造食材のことで世の中が揺れている。
いや、いくつかの報道で知っただけなんですけど。
牛のゼラチンを加工して作っているらしい。

私がフカヒレスープを初めて食したのは、なんと大学生の時であった。クソ贅沢な生活を、と怒り心頭の方々がいるでしょう。クソ贅沢な生活をしていたら今の私はない。凄い大金持ちになっているはずである。不思議な場所でいただいたのである。

大学2年の春休み、私はインドへ向かった。えーっと、35年位前のことですか。
当時のインドは現在の経済発展を予測させるものは皆無で、そりゃムチャクチャでんがな、と大阪弁になりそうなくらいの場所。今でもほとんど変わってないじゃん、と思わせるところがたくさんあるのが楽しくもあるな。

行きと帰りだけは、若いお兄さんがついてくれるという、ツアーでした。
インド、ネパールを一周して帰ってきたら、ニューデリーのYMCAに集合、翌日帰国ということになっていた。私としてはもう日本に帰んなくてもいいんじゃないの、とすっかりインドに慣れきっていたのだが、引率のお兄さんが全員戻ったことを確認すると、「フカヒレスープ食べに行かない?」と全くインドらしくないことを言ったところで、急に帰んなきゃと目が覚めた。

「インドのフカヒレスープは凄く安いんだよ」と言うのよ。
私はフカヒレスープがどんな味で、いくらくらいが相場なのか見当もつかなかったが、そんなものインドにいる間考えたこともなかったので、ついて行った。
今から考えれば引率のあんちゃんもフカヒレなんか日本じゃ食ったことないって顔をしていたから、本当の味なんか知らなかったんじゃないかと思う。

行くのは当然中華料理屋。あーた、ここ高いでしょ。ここに来て散財かよ、と暗い気分になったが、ま、お金少しあまってるし、思い出作りだ、と割り切って突撃した。そんなわけで思い出作りは成功し、ここでこんなことを書いている。
お酒を飲ませるライセンスを持ってない店だったが、お茶のポットにビールを入れてきてもらい、小さな湯飲みに入れて、ビールをちびちび飲むという裏技もそこで教わりました。

で、フカヒレスープが出てくる。
「ふんふん、おいしいんだけど、どれがフカヒレなの」
「透明な細いやつ」
「でも、春雨がたくさんあって、どれがフカヒレかわかんないんだけど」
「そんなもんなの」
というわけで、あんちゃんもちゃんとしたフカヒレのことは知らないことがわかりました。
春雨でフカヒレがたくさん入っているように見せるというのは、今の日本でも常套手段で、安い店のフカヒレラーメンなんかはどれがフカヒレだよ、ということになっております。

本当のフカヒレが食べたくなったのは就職して、タイに遊びに行ったとき、サイアムスクウェアでフカヒレ専門店を何軒か見つけたときのことである。相変わらず金はないが、学生時代ほどではない。
飛び込んでフカヒレスープの中を頼んでみて驚きました。春雨なんか入ってない。本物のツルンツルンと光るフカヒレが大量に入っている。コリコリするよね。
とてもおいしいんだけど、このコリコリと味はどう関わっているんだろうと素朴な疑問を覚えましたな。

あれは関係ないんじゃないですか。
あの味のスープは簡単に作れるんでしょ。それにフカヒレを入れて煮込むだけなんでしょ。
私は目隠ししたら春雨と区別なんかつかないよ。

そんなことで、ロンドンで役員が来た時にゴッツ高いフカヒレスープをいただく時以外は口にしなくなった。

フカヒレの漁を見たことがありますでしょうか。いろんな国で行われているが、日本が名産国であるところはご承知の通り。それぞれの国で段取りは違うと思うが、ほとんどヒレを切り落とすと海に放り込むのが普通です。
ヒレを切り取られたサメは泳げないので海にただ沈んでいき、そのまま息絶えます。
このタイプのドキュメンタリーは色々議論があり、アジア人が残酷なことをやっているというイルカ漁のあちらでの報道に近い、やらせが多いとも指摘されているが、いずれにせよサメはヒレを失ったまま海中投棄されてしまう。

私の実家、下関ではサメはフカと呼ばれ、身の部分もスーパーで売っている。古くなると臭くなるが、新しいものは面白い歯ごたえで味もよく、湯掻いたものを酢味噌で食べたりするね。私はそのままわさび醤油で食べるのが好き。どのくらいの量のサメがそのように市場に出回っているのか資料がないので確たることは言えないが、圧倒的多数はやはり海中投棄のようです。

私はクジラが大好きでよく食べる。イルカも食べる。クジラとイルカの差は大きさだけですからあえて断ることもないんだけど。
動物でも植物でも捕ったものをできるだけ余さず、いただくことに関しては私は抵抗はない。
私はこの地球という食物連鎖で生物がつながって生きていく惑星は、業の深い世界だとは思うが、だからといって何も食べずに死ぬ気は全くありません。
食べているものに対してただ心の中で手を合わせるのみです。それが、「いただきます」でございます。

この議論もクジラ、イルカと同様に非常に感情的になりがちで、しかも主張する団体、個人でデータがバラバラなため、議論は相変わらずかみ合わない。
説滅の危機に瀕しているという説もある。それも恐ろしい話だが、「おいしい」と言われているヒレだけを切り取り、あとは捨ててしまうという漁にはどうしても強い疑問が残ってしまう。

食の問題は「残酷だ」「文化だ」という妥協の余地のない議論に陥りがちです。
「食べる」ということに関して、もうひとつの視点が必要に思えてなりません。

さて、味音痴と言われても仕方のない私だが、他のものでほとんど変わりなく「ああおいしい」というものが作れるのであれば、「フカヒレみたいな」で充分じゃなかろうかと思ったりするところであります。その際に健康被害の可能性のありそうなもの入れないように。
今、香港では一部の報道では大半の店が「フカヒレみたいな」ものを使っていて、黙っていれば全くクレームは来ないらしい。
食品偽装はまずいので、メニューには「フカヒレみたいな」と載せればいいんじゃないかと思ったりするんだけど、どうでしょう。ダメ?

これ、香港。