ネットカフェと「BOOK BAR」

めでたくも今週6日、土曜、J-WAVEで夜11時から放送されている「BOOK BAR」は六年目に突入いたします。
番組が始まるときのドタバタにつきましては、番組内で話したり、杏さんの「杏のふむふむ」で触れられていたり、私も別のところで書いたりしていましたが、このめでたき日が明後日ということもあり、この際詳しく書き残しておこうと思い立ちました。

私は前の年の10月に経営していた会社を清算し(倒産ではない)、すっかり身軽になってしまい、再び職を完全に失っていた。そういう星の下に長いこといるのである。職を失うとすごいチャンスがやって来たと、新しく企業するなんてことはかけらも思わず、海外逃亡、放浪に出かけるのが決まりとなっている。
私の場合、旅という言葉は数ヶ月間は日本からいなくなる、という意味である。皆さんに「えー!」と驚かれるが、仕事辞めたんだったら普通そうでしょ。それまでは出張ばっかりでカメラもなかなか構えられないでいたんだから。うっぷんを晴らすにはやはり反動をちゃんと受け止めてあげなきゃ。
これで1週間で帰ってきたら絶対に不良爺さんになっていたと思う。
谷中か根津辺りのコンビニでウンコ座りしてタバコ吸ってたんじゃないかな。

だから、さささ、と準備をしてまず11月にインドに向かった。そのあとお決まりのネパール。さらに、カンボジアラオスベトナムで40日程度滞在の予定で回り、4月に入って帰国ということになっていた。実は途中で最後の会社清算の手続きをすませなきゃならなかったので、一度帰ってきたんだけど、話としては全然面白くないので省きます。
ノートPCを持って回るバックパッカーも最近では珍しくないが、私はメールで追いかけられ、やっぱり仕事だよ、とか強制帰国させられるのがどうしても嫌でそんなものを持って歩くという発想がない。
好きにさせてやろうよ。

ついでに言うと、今どこどこで何食ったとかつまんないことをブログに書き込んでも、体験中の話というのはついウダウダになってしまうので、やめといた方がいいですよ。充分自分の中で寝かせないと、書きたいことの整理ができないし、文章が熟してこないよ。
ま、人ごとだけど。

しかしだ、親が死んだとか、猫が危篤だとか、家が燃えたとかいう場合はさすがに私も帰んなきゃ、と思うはずなので、ホットメールアドレスを取得しておいた。ただし、前の仕事の不愉快そうな話だったら、絶対にアドレスを教えることは相成らん、と家族に厳命を下す事も忘れてはいなかった。
おかげさまで心安らかに旅が続けられていたのであるが、なーんとなくその日は夕食前にたまにはメールチェックしとくか、心乱されるものであれば見なかったことにしよう、と決めネットカフェに向かった。

このネットカフェなるものいつからインド、ネパール、東南アジアに出現したのかわからないが、カフェではない。店によってはInternetとしか書いてないところもあり、ただコンピューターが並べられているだけである。飲み物なんてない。日本語の環境があったりなかったり、あると言ってなかったり、ないと言ってあったりと自分でチェックしてみるまで使えるかどうかわからない。英語、イスラエル語、韓国語はほぼどこに行っても使える。日本人の貧乏旅行者が減ったということでもあるなあ、と感慨深かった。

全く関係ないが、私はコンピューターで作業を始めるとたちまちにして便意を催す。会社をやっていたときはトイレがすぐそばだったので自分でもよく出るもんだ、俺の腹には宿便はない、と自慢していたのだが、それがコンピューターのせいだとは気が付かなかった。自宅でもそうだった。やはりコンピューターをいじっていると深夜でもトイレに行っていた。
うかつであった。まさかコンピューターが原因であるとは誰も信じてくれまい。わたしもそうですよ、という人がいたら是非教えてください。一人じゃないんだと安心すると思います。

本屋で必ず催すという人は、恥ずかしげもなく告白するのに、コンピューターで便意、とは言いにくいのだろうか。気がついてないだけなのかもしれない。
私の場合、どこで気が付いたかといえば、インドである。インドの最初の夜に気が付いた。その時は長いメールを友人に書いていて、我慢できなくなり途中でいったん放り出さざるを得なくなり、宿に戻ったのだが、単純に時差のせいだと思っていた。
しかし、用を済ませて再び作業を始めるとまた同じことが起こったのである。
それ以来、ネットカフェに行く際は一度軽くネット上で新聞記事をチェックして、催すと宿に帰り、絞りに絞り、またネットカフェに戻るようにした。どえらく面倒な男である。
えー、これは決して尾籠な話ではなく切実なる訴えであります。本当に困っています。誰か助けてください。
話は一体どこへ行くんだろう?

えーっと、話はいきなりインドからネパールを飛び越し、カンボジアシアヌークヴィルのネット屋に飛ぶ。
案の定ホットメールを開いたあたりから苦しくなってきたのだが、なんだか知らないが、やたらメールがたまっている。絶対に嫌なことが書いてあるに違いない、見ないことにしようかと迷ったが、根が真面目にできている私はつい家族からのメールを開いてみた。

「J−WAVEの〇〇さんから電話あり。すぐに電話をくれとのこと」
どうしたもんかと悩んだら、〇〇さんからもメールが入っている。
「急な話ですが、番組やりませんか?やりたいんだったらすぐに電話をください」

おー、会社を畳んだはいいが先のことは何にも考えず、インドだ、ネパールだとうろついていたが、本当は歳も歳だしまともな仕事にはありつけんなあ、くらいのことはわかっていた。しかし、嫌なことは忘れるに限るという私オリジナルの人生訓のもとに本当に忘れていた。で、このメールで思い出した。危機なのである。地獄に蜘蛛の糸である。
実はもうこの時点でトイレに行きたくて仕方がないのだが、ここは締めていかねば。電話はかけられるか店のお姉さんに聞くとスカイプでなら大丈夫とのこと。旅の最中の私には「うげげげげ」とうなるくらい高いが電話をしないわけにもいくまい。プツプツ途切れる異常に通信状況の悪い中、何とか〇〇さんにたどり着いた。
「で、どんな番組なのよ」
もったいぶってみた。やたら途切れるのでなんだか良くわからない。やる気満々であるが、途切れる合間を縫って、電話が高くてかけられない、そもそも電話が通じるような宿に泊まっていないことを理解してもらい、メールのやり取りで詰めていくことにした。

翌日からはすごく素直な普段の私に戻り、ケツの穴を締めて内容を納得した上で、しばらくはまだ日本には帰らないけど「やらせていただきます」とお答えした。
ところが向こうは納得していなかった。

「で、いつ帰って来るんですか?」
「4月1日」
「何言ってんですか、番組は5日からですよ。本当はすぐに帰ってきてもらいたいくらいなのに」
「いや、俺も帰りたいんだけど、脳みそがもうラオス奥地に飛んでいて無理なんだよ」
「じゃ、いつですか」
「まだカンボジアで、これからラオスだぜ。わかんないでしょ。放送始まる前には帰るからさ」
「できるだけ早くお願いします」
「じゃ、詳細はラオスからメールで」
と無責任な対応。

ところが私はカンボジアシェムリアップに行ってからずいぶん苦労した。
一番安いチケットで来ているので、日程を変えるとものすごい追加料金を取られるのではないかとドキドキで、カンボジアからラオスラオスからベトナムベトナムから成田とすべてのフライトを変更しなければならなかったのである。
航空会社を回りまくった。
どんな理不尽な事を言われるかと覚悟していたのだが、意外な事にすべてのフライトの変更に追加料金は発生しなかった。発生したらちょいと上乗せして、局に請求させていただこうと思っていたんだけど、そういう悪巧みは敬虔な仏教徒の多い国では通用しなかった。
でも、今でも不思議なことがあるもんだと頭をひねっている。

ラオスからのメールで詳細を、という事にしていたはずなのに、首都ビエンチャンではまだどうにかなったのだが、中国、雲南省まであと10数キロという山奥に来てしまうとネット自体が見当たらない。その手前の町にもない。その手前の町ではネット屋さん自体は存在したのだが、日本語にうまく環境が変わらなかったり、ほとんどの時間停電だったりしてさっぱり日本と連絡が取れなくなってしまった。
そんな事もあったのだが、少しずつあちこちの滞在期間を短くして見事3月25日の朝、帰国した。
翌日ボケボケの頭でスッタフ会議に参加し、杏さん、ディレクター、スタッフと初めての対面。頭の毛もボサボサ(無いように見えて、あるもんだから、伸びると異常に見苦しい)、ヒゲは髪の毛より伸びている。頭のてっぺんから足の指先まで真っ黒に日焼けしている。
後々、杏さんに当時の事を聞いてみたら「やっぱり少し引きました」とのこと。そりゃそうだろうな。

俺が代理店にいたら許さんなあ、こんなメチャクチャ。
というわけで、現在も楽しく番組をやらせていただいています。
今後ともよろしくお願いいたします。

ここが最初に連絡を受け取ったカンボジア唯一のシーサイドリゾート、シアヌークヴィル。