もみじと金魚

金魚だと思って小さな黄色の観賞用の魚を飼っていたことがある。
「キンちゃん」と名付けた。
ところがこれがどんどん大きくなってしまい、とても金魚には見えなくなった。
どこからどう見ても鯉である。
鯉にえさをやり続けると、その勢いは止まらない。水槽をその成長に合わせて大きくしていったのだが、収まりきれなくなった。この場合二つの選択肢がある。鯉の洗いにして食ってしまう。大きな池に放してしまう。
鯉の洗いはあまり好みではないのと、さばくのが面倒だというのと、さすがにそれは躊躇われるということで、ある公園の大きな池に内緒で放してしまった。でもね、それはいけないことなの。その池は我々のような馬鹿もんが放した鯉や外来種である緑亀で一杯である。
キンちゃんのその後は確かめようがない。どうしているんだか。

生き物を飼うときは、それが本当は何者なのか、どのくらい大きくなるのかをちゃんと見極めてからにしてね。
金魚だよ、と偽って鯉を金魚すくいに混ぜたりしないようお願いします。

それで懲りたかというと、そうでもなくて、今度はちゃんとしたペットショップで赤やオレンジの金魚を買ってきた。
どう見ても金魚。
トイレで飼った。
用を足す時、慰められる。
「いいんだよ、金魚だもん」と向こうは言っているんだろうけど、こちらには「泣いたっていいんだよ、人間だもの」と伝わってきたりするんだもん。
その金魚も「キンちゃん」。いちいち面倒で名前なんか考えてらんない。

そこに猫のもみじがやって来た。
私が出張で居なかったときに、勝手にもらわれてきていた。
野良猫が庭で子供を産んだんだけど、衰弱してしまっているというのを聞いて一瞬の迷いもなくもらったんだ、と開き直られるともう文句は言えない、どころか、私の肩に上ってきて、耳を甘噛みしたりするから、もうメロメロ。
手のひらに乗るくらいの生まれたばかりの子猫が気の利いたことするでしょ。
本人は風呂は嫌いなんだけど、水が好きで、こちらが風呂に入っていると飛んできて手をお湯につけたりしてたんだよねー。

そのもみじがキンちゃんに恋をしてしまった。
トイレのドアノブに飛びついて自力でドアを開けたり、こちらがトイレから出るのを見張っていて、するりと忍び込み、キンちゃんに会いに行っていた。きっと金魚になりたかったんだと思う。もしかしたら食べたかったのかもしれないけど、それはね、考えるのやめときましょう。

キンちゃんは天寿を全うし、天国か地獄に行ってしまった。
もみじは何が起きたのかわからなかったようであります。
トイレに行ってもキンちゃんがいないんだから、陰で泣いてたんじゃないかな。

もみじは鳥の鳴き声に敏感で、ベランダに雀がやって来ると、遠くから小さな声で「あああああああ」と鳴く。
「チュンちゃんが来たよ」と嘘をついても、「なになに」とベランダに顔を向ける。
テレビから鳥の声が聞こえてきても、「どこどこ」と部屋の中を探し始める。

そんなもみじにタブレットがやって来た。もみじが買ったんじゃなくて、家の者が自分用に購入した。
何を思ったか、YouTubeで金魚の画面をもみじに見せてしまった。
もみじはやっぱりキンちゃんが大好き。
じっと見入っていたのだが、手が出た。
やっぱりもみじは触れ合いたかったんだということがわかった。
切ない話でしょ。
でも、その様子は爆笑ものである。

ちなみに我が家では唐揚げ用に買ってきた沢ガニを飼ったり、かたつむりを飼ったりいろいろ面倒が多い。