アルメニア大特集2 宗教

アルメニアの宗教はキリスト教
世界で初めてキリスト教を国教とした国がアルメニア
301年のこと。

その後、さまざまな国の侵入、侵略を受け、国教だったキリスト教もずたずたにされてしまった、ということは全然なくて、連綿とその伝統を受け継いでいる。
そのアルメニアキリスト教だが、ここでこんな内容のものだよ、と説明するにはもっと勉強しなくてはならない。
ちゃんと理解できていないのである。
それなのにわざわざ書いているのには理由がある。
このキリスト教の複雑な体系はなかなかすごいよねえ、と一緒に驚いて欲しいのと、同じキリスト教徒が圧倒的に多い隣国ジョージアと内容が違うということで、私が勝手に驚いちゃったからである。
それがちょっと違うくらいなのか、全然違うのかは私にもアルメニア人にもジョージア人にもよくわかっていないようなのだが、教会に入っただけで様式が違うことはすぐにわかる。ミサの中にまぎれているともっとわかる。

私は無宗教に近いながらも仏教かつ神道を大切に考えている者である。
どんな国に行っても祈る人を見続けている。
何故、何に祈っているのか、幸せにしてねなのか、お守りくださいなのか、あなたに身を任せますなのか、私の罪をお許しくださいなのか、私は何者でしょうかなのか、私は本当にここに存在しているのでしょうかなのか、あるいは、ただ手を合わせているのか、さっぱりわからないからである。

わからないことは知りたくなるでしょ。
私はなるんですよ。
だから東南アジアでぐるぐる回る皿にコインを投げ、入ると「よかったね」なんて言われるとどうなっちゃってんの、と考え込んだりする。コインを受けるさらにそれぞれ何やら書いてある。
「ハンサムになれます」
「博打で勝てます」
だよ、と教えてもらって、そりゃそりゃありがたい、とは思えないもん。
上座部仏教は僧侶個人が修行によって悟りを得、涅槃に入ることを目的としているのだが、出家していない一般の人間にはあくまでも現世利益をもたらすものということになっているようで、どうも居心地が悪い。
在家信者にストゥーパを建てるよう勧めるのも悟りとか涅槃は関係なく、来世で今よりもいい生活が送れますように、ということになると私には向いてないかもと思ったりする。

だから、世界中のあちこちで熱心に祈っている人を見ると、片っ端から「何をお祈りされていますか」と聞いてみたくなる。が、やったことはない。

アルメニアでは近隣国で信仰されている正教ではなく、アルメニア教会というキリスト教を信仰している。
これはカトリックでもプロテスタントでも英国国教会でもない。
アルメニア独特のキリスト教なんだそうだが、この内容が知りたくていろんな人に聞いてみたのだが、これがねえ、なかなかの難問だった。

よく考えれば浄土真宗と浄土宗の違いを外国人に聞かれて、これこれこうですよ、と私がうまく説明できる自信がないのと同じようで、「それはねえ、えーっと、単性説というのがあって、それがアルメニア教会ということになっているということなんだけど・・・、それは本当は違っていて、それと正教がね・・・、あー、なんかそんなことらしいけど、誰も知らないと思う」的な答えしか返ってこない。
帰国して調べてみたんだけど、これが一行目でつまずくようなことがずらずらと書かれていてとてもじゃないけど理解できそうにない。英語で説明されればもっとわからなかったことは明白。

だからアルメニア人はアルメニア教会というキリスト教を信じているということだけ覚えておいてください。

しかしだ、私は教会を見れば、これはアルメニア教会だなとわかるくらいには進歩した。
カトリックプロテスタント教会のようなゴシックの空を見上げるような派手さは全くない。
正教のデコラティブな気配もない。
外観も教会内部も極めてシンプル。
これが威圧的でなくて、私には非常に好感が持てた。

これはイェレヴァンで一番でかいということになるのかしら、私の宿の近くにあった教会。
でかいのと新しく作られたものなのでやはりそれなりの迫力はありますね。

内部もこんな感じ。

小さくなってくると、特徴がよりはっきりわかります。

小さな教会の内部はさらにシンプル。
それがぐっとくる。
これはまだ大きな方。

さらに小さな教会の内部。
小さくなるほど美しい。

さらに郊外に出ると洞窟教会が残っており、今でも主として観光客が訪れる。
綺麗に清掃されている。
このような教会はコーカサスでは珍しくないが、もともとは人が住んでいたところを教会に改造したと思われる。

近くには自然にできたとしか思えない洞窟もあるが中には入れない。
崖の中腹に明らかに人工的に作られた穴があいているが、そこはとても覗けない。

十字架が崖にいくつかかけられているのがわかるだろうか。

朽ち果ててしまった教会跡もあるが、それは悲しいからここには載せないでおきましょう。

アルメニアジョージアアゼルバイジャン、この南コーカサス3カ国は1991年までソビエト連邦下にあった。
唯物論で通した国で長く宗教は否定されていたため、宗教は強い力を持っていない。
アゼルバイジャンは今回行っていないが、話に聞くところではシーア派イスラム教徒が多く住むが、酒も飲めるかなりゆるいところらしい。
アルメニアでは日曜にミサに行くと答えた人は非常に少なかった、というよりも接触した範囲ではいなかった。
ただ、神が私を支えているという実感はある、と答えた。
ジョージアでも同様のことを言われたが、その後「日本人は何故自分はここにいるのか、という答えを持っているのか」といいところを突いてきたので、「私の個人的なことでしか答えられないが」と前置きした上で、岸田秀の唯幻論で説明したら「なるほどー、それは思いもしなかった。帰ったらその理論のサマリーを送ってくれ」と頼まれ「もちろん」と答えたが、まだ宿題を済ませていない。

ジョージア正教についてはまたの機会に。