ブエノスアイレスの高木一臣さん

13年前にアルゼンチンのブエノスアイレスバンドネオンという楽器のことで取材で行きました。
私の場合、取材といってもラジオの取材なんで、たった一人でドイツ、ロンドン、ブエノスアイレスをカメラとレコーダーを持って突撃あるのみ。そのときのことは別の機会に。

昨日、テレビがつきっぱなしになっていて、ふと顔を上げると「笑ってこらえて」の中にどこかで見たような人の顔が。
かくしゃくたる日本語を話される86歳、白髪のおじいさんが。
場所はブエノスアイレス
ここで働いていたと指差すのがRAEという放送局。
あらん、この方と会ったことがある。
2時間もの長い間、昼食をご一緒した。
水川さんという若く優秀な日系の方に取材のお手伝いを頼んだら「役に立つかどうかはわからないけど、面白い人がいますよ」と連れて行ってくれました。

とにかくすごい人がいるもんだと圧倒された記憶が鮮明によみがえってきた。
改めて調べた高木さんのプロフィールを紹介します。

「1925年三重県生まれ。観光客としてアルゼンチンへ渡り、そのまま現地へ留まる。ジャーナリズムのお仕事を得て、その後50年以上に渡り、ラジオやグラフィック関係の仕事を続ける。81歳(5年前のものです)を迎えた高木氏は、日本人コミュニティ新聞「らぷらた報知」のジャーナリストとして熱心に活動を続けています」

これだけだと、「へー」くらいしか感じないと思うが、実際に会うとその軽妙な語りとアルゼンチンで築いてきた高木氏のポジションに空いた口が塞がらなかった。
私が会ったときは記事も書き、日本向け短波のDJもこなされていた。
「これから放送があるんで、じゃあ」と別れたきりになっていたんだけど、あれからも何の変わりもなくいまだ現役で働き続けている。
「もうやめたいんだけど、読者が許してくれないんだよ。読者が死ねばやめられるんだけど」とテレビの中で話していた。
変わってない。

私は一人で出かけると必ず長い日記を書く。
ほとんど見直すことなく、話したり、書いたりするんだけど、そのときのことを書いたものがないかと探してみた。
あった。
殴り書きのメモが残っていた。

「RAE(Raiodifusion Argentina al Exterior)でDJをしている高木一臣氏に会う。75歳。バンドネオンの話が聞けるものかと疑って行ったら、やはりバンドネオンの話は10秒で終わった。でも、日本語のバンドネオンの本のコピーをくれるところが律儀である。」
「ところが、この高木氏の話がすごい。シドニー・シェルダンなんかアホみたい。あんまり面白くてMDを2枚もまわしてしまった。小さな、しょぼくれた白髪のじいさんである。話がしっかりしている。まいった。この人の話は絶対どこかで書かねばならない。一度自宅にお邪魔できないものであろうか。」

シドニー・シェルダンの名前が出ているということは凄まじいジェットコースター人生の話だったんだと思う。
絶対書くと書いておいて、放っておくのが私らしいな、とのんびりしている場合ではない。
昨日の放送では、ご自身で「自分の人生について本を書こうと思ってる」なんて言ってたじゃん。
本人に書かれたんじゃ、勝ち目がない。

当時のMDはどこかに残っているはず。
先に下書きをして送りつけ、書かせてください、とお願いしなきゃ。

テレビを見て、急にやる気が出てきた。
高木さんが元気なうちに話聞きに行かねば。

ブエノスアイレスのカフェ。
世界で一番かっこいい。