平家物語みたいな

私は平家でもないし、源氏でもない。
なんでもない。
普通じゃない、と勘違いしている人もいるような気がするが、超普通。
平家や源氏の人ってのは今でも普通じゃないのかしら。
ちょんまげしてる?

きっといるんだろうけど、私は平さん、源さん(ゲンさんじゃない)って会ったことないな。
ちょっと会ってみたい。
友達同士みたいなこともあるんだろうか。

「やあ、やあ、あのときはごめんね」
「ずいぶんやってくれたよな。でも、やんなきゃ、こっちが潰しにいってたからお互い様だ」
「でも、あれだよね。おまえら清盛入道がいなくなると弱かったよな」
「なんせ公家のつもりだったんだもん。お前らは汚いなりして刀振り回してたもんな。負けちゃうって」
「俺たち頭使うの得意じゃなかったんだよ」
「なー、鎌倉でもすぐに北条にいいとこさらわれちゃうしな」
「正直言うとね、俺、源氏ってなんだかよくわかんないんだよ。やたらなんとか源氏っているから」
「それはね、俺んとこも同じ。一体誰が平家なのかよくわかんなくなっちゃっててさ。しかも、一応壇ノ浦で滅びたことになってるし。全員死んだわけじゃないんだけどさ」
「おまえんとこ、落人の村ってのが全国にあるじゃん。あれ、平家の人たちなんじゃないの」
「よくわかんないんだよ。今更って感じじゃん。平家の血筋ですって言って就職できるわけじゃないし」
「そうなんだよ、源って名字の人間なんか4000人くらいしかいないんだぜ」
「少ねー。かっこいいのにな。源眞一郎なんていったりして」
「全然かっこよくなくない?おかしいだろ、それ」

てなこと言い合って昔を懐かしんでんじゃないかな。

そんなことを思いながら先週土曜は唐戸市場で寿司を食ったあと、安徳天皇が祀られている赤間神宮に行ってみた。
みんな知っているもんだとばかり思っていたので、知らないことに驚いた。

壇ノ浦の合戦というのは平家が追いつめられ源氏にとどめを刺された戦いだけど、唐戸市場で寿司食いながら眺めてたところが壇ノ浦。そう言っているのに「それで、大倉さん壇ノ浦ってどこ?」って聞く人がいるからもっと特別なとこを想像しているみたいだな。

まだ幼い安徳天皇に「竜宮城に参りましょうね」と大嘘ついて、一緒に女房どもは全員入水した、と思っていたんだけど、そうでもないんだよね。母親の建礼門院なんか入水したものの助けられてるし、「私も参ります」とか言っていながら飛び込まなかったのもたくさんいるらしい。
別に責めちゃいないですよ。
生きててなんぼだ。
「生きねば」はあの時代でも大事なことだったというのがわかってホッとしてみたり。

でも、安徳天皇、その他のおもだった武将は、これまでと思ったところで入水している。
男はいろいろ重いものつけてるから沈んじゃうよね。

赤間神宮は竜宮城。
安徳天皇にそう言っちゃった手前、やっぱりタコ、イカ、ヒラメが舞い踊るようなところでないと具合が悪い。

ね、こんな具合なのよ。
みんなへーボタンを押してました。
熊野三山速玉神社に少し似てるか。
いや、やっぱり平家がメチャクチャ金出して立派にした厳島神社に似てるか。
ここでは毎年先帝祭というのが行われ、その華美なことといったら他の神社には例を見ない。
必ずニュースで取り上げられていたので、てっきり全国民が知っていると思ったんだけど、あれは地元局だけだったということを初めて知った。

元々は阿弥陀寺という寺だったんだけど、廃仏毀釈で神社になって「天皇社」となりました。
やっぱり、殺したとはいえ天皇を寺に入れてちゃ案配悪い。
昭和15年にようやく赤間神宮となりました。

ここには戦没した14人の平家の武将の墓もあります。
こちらは薄暗い端の方にひっそりと佇んでいます。
最後に盛のつく武将が7人いたんで七盛塚と呼ばれているんだけど、他の人はそれはないぜと思ってるはずです。

「恨みま〜する〜」って雰囲気濃厚。

で、この平家物語の弾き語りを得意としていたのが耳なし芳一
元々耳なし法一じゃなくて、芳一だたんだけど、般若心経を書き忘れられていた耳を平家の怨霊にもぎ取られたんで耳なし芳一になりました。
ああ、なんと哀れな芳一よ。
でも、耳だけだったんで特に問題もなく、その後逆に琵琶の腕前が評判になり高所得を得ることができるようになり、何の不自由もなく幸せに暮らしましたとさ。

そんなわけで、赤間神宮の中に芳一堂がございます。
でもさ、このお話、「臥遊奇談」に納められていた話を小泉八雲が取り上げたことで一挙に階段を駆け上がり有名な怪談になったんだけど、あくまでもフィクションだからね。
それがこんなに堂々ときらびやかに祀られているってのはどうなんだろうか。

平家の武将は納得してないと思うな。