サクラダ・ファミリア一挙公開

本日の「ごちそうさん」。
朝からごっついフランス料理、学校から帰れば私も食べたことのないさらに手の込んだ料理の行列。
それを「おいしいおいしい」と食べるめ以子。杏さんが登場することにはお相撲さん、なんてことになってるんじゃあるまいか。

本題です。
私が偉そうに「一挙公開」とぶち上げなくても、行けばいつも公開されているので、「大倉が偉そうに」とお腹立ちの方は是非バルセローナまでどうぞ。

25年前に初めてサクラダ・ファミリアを見上げた時は感動で全身が震え、同時にいつまでも完成してほしくない、とおかしなことを思ってしまっていた。
昼間に行って歩いて尖塔の先まで歩いて上り、その無防備とも感じられるセキュリティに背筋を凍り付かせ、もう登れないと泣きながらそれでもたどり着いた場所からはバルセローナがすべて見渡せ、自分が神にでもなったような気にさせる素晴らしい光景が広がった。
降りる時は足がガクガクで転げ落ちるかと一時は覚悟しましたが。
夜も行ったな。
ライトアップされたいつ完成するのか誰も予測できていなかった不気味かつ荘厳な建築物はこの世のものとは思えなかった。
金がないのでもう出来上がらないかも、とか、300年かかる、とか、あきらめというよりもむしろ私には「未来」を感じる言葉で飾られておりました。

今年の6月に行った時は戸惑いました。
だって、なんだかほとんどできちゃってんじゃないの、ってくらい完成間近の雰囲気濃厚なんだもん。
クレーンとかガンガン動いてるし、尖塔のテッペンはかつてはむき出しになっていたのに、今は工事で傷つけないようにとの配慮からか布で覆われていて見えなくなってる。
やる気満々。
できないかもしれない、ってのが好きだったんだけどなあ。
完成したら「未来」が見えなくなるじゃん。

しかし、一歩中に踏み込んだら、驚愕で声が出なかった。
うげげげげ、こんなになってんの。
これがガウディが思い描いたものか。
それは実は誰にもわかりません。
資料はなくなっているんだから、こんな感じかもしれないし、そうではないかもしれない。
しかし、このサクラダ・ファミリアに人生を捧げてきた人間たちの執念は凄まじい。
私はこれがガウディが構想したものそのままだ、と確信しちゃったもん。

そしたら先月末、2026年に最終形態完成との報道。
その完成した姿が動画で見れるそうです。
つまらん。
つまらんことするなよー。
サクラダ・ファミリアは生命体だぜ。
少しずつ変わって行く様をじっくり味わおうじゃないか。
それより私が撮影した写真を公開しますからガッツリご覧ください。
ただだよ。

まずは外観から。

25年前には影も形もなかった内部。

一日中いても全く飽きない。
ディテールを観察し始めるとすべてが知りたくなる。
そんな場所、サクラダ・ファミリア。
ステンドグラスからの光が床を染めます。