ドイツとアルゼンチンとバンドネオン

なんだか、起きたら世の中「ドイツ!ドイツ!」と大騒ぎになっていて、若干戸惑っている私であります。
いやいや、ワールドカップってたいしたもんだね。
オジサンはすっかり置いていかれちゃったよ。
そういうことには慣れちゃってるんだけど。

何を書こうかな、と一瞬の逡巡の末、まだ書いてなかったことを思い出しましたので、ドイツとアルゼンチンを結びつけるちょっと「へー」な話をひとつ。

本題に入る前に、ドイツ、アルゼンチン両国民にとっては不愉快な話から。
ドイツが大戦で敗れた後にナチス高官たちは大挙して南米に逃げました。
様々な国に散っていますが、中でもアルゼンチンは当時の副大統領ペロンがファシズムに傾倒していたこともあり、積極的に残党を受け入れました。
ペロンは間もなく大統領となり、夫人エバ(エビータ)の人気もあり長期にわたり大統領職に就いておりました。
1960年、アイヒマンブエノスアイレスにて、モサドに拘束されイスラエルに連行されました。
当然、主権侵害ですので、イスラエルモサドの関与を否定し、「ユダヤ人民間人有志による身柄拘束」と言い逃れていましたが、のち、その関与を認めております。
ことがことだったから、ということもありましょうが、なんか納得がいきませんね。
アルゼンチン政府は「国家主権侵害だ」と抗議をしています。

さて、本題です。
ドイツで作られたにもかかわらず、本国では全く大戦以降使用されることがなくなった楽器がございます。
それがタンゴの演奏には不可欠なバンドネオン
19世紀半ばにアコーディオンの流れで改良され、なぜか私にはわからないんですが、鍵盤という非常に音を拾いやすい構造を改め、全くランダムとしか思えない配列でボタンが両方の引き手に置かれております。
その上、押すときと引くときで違う音が出たりするので、数秒で私には無理だな、と私のような人間は触ることさえあきらめることができます。
日本ではこの楽器、小松亮太さんという弾き手が現れたおかげで演奏をご覧になった方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

もともと作られたときは、タンゴで使って欲しい、と考案者が考えていたわけではなく、野外での教会の儀式でパイプオルガン替わりに使用されたり、民族音楽の演奏に使われました。
そのときの音も残っていますが、なかなか味わい深いものですよ。

ところが、大戦後、バンドネオンナチスの宣伝工作に使われたという濡れ衣を着せられ、ドイツから追放されるに近いことに追い込まれます。
私が取材に行った15年くらい前にはバンドネオンを作る会社はなくはなかったのですが、かつての音が出せるような技術は復活しておらず、メインテナンスもままならぬという状態でありました。
カールスフェルドという旧東ドイツ地区の山の中にある小さな村で産まれたバンドネオンは、不幸を背負った楽器と相成りました。
ただ、そのカールスフェルドに取材で単身乗込んだときに、ただ一人英語が話せる村長さんが村中を案内してくれて「今、もう一度ここでバンドネオンの生産を始めようと、みんなで頑張っているんでがんす」と胸を張っていらっしゃいました。
村の体育館でおばちゃんたちがバンドネオン装飾のための紙を切って貼ってしておりましたが、肝心の機械の方はどねーなるんじゃろーか、と心配しましたが、きっとどうにかなっているんじゃなかろうかと思います。

実際はナチス礼賛の音楽演奏で使用されたということはあるでしょうが、それはどんな楽器でも同じこと。
生け贄が必要だったので一番目立つバンドネオンが血祭りに上げられたのであります。
なんて哀れなバンドネオンかしら。

そんなことからバンドネオンの音色はどこか悲しく泣いているように聞こえます。
というのは、嘘で、バンドネオンは19世紀後半にはすでにアルゼンチンの地でタンゴでも使われ始めていたようで、20世紀に入るとどんどん輸入されるようになり、タンゴには欠かせない楽器となりました。

なぜ、ドイツで生産された楽器がアルゼンチンに?という疑問は実は今もまだ解明されておりません。
諸説あり、ドイツの船乗りが無聊を慰めるために船で鳴らしていたのをアルゼンチンに置いてきたとか、ドイツ移民が持ち込んだとか言われております。
どえらく演奏が難しいこの楽器をタンゴに使おうとし、ボタンの位置もそのままにした、というのがこの話の面白いところでございます。

バンドネオンは新しい楽器は高価だったり、音も良くなかったりするため、ほとんどの演奏家は中古を使い回しています。
修理も仕方ないから自分でやってりして。
なんだか、いい話のような、悲しい話のような。

ブエノスアイレスでボカ地区は一時は治安が悪化していましたが、15年前はリノベーデョンが進み、街もカラフルに塗り直され、大舞台で見ることのできるタンゴショーが大変な人気を博しておりました。
でも、あまりにも派手すぎて面白くないです。
タンゴはやはり、サン・テルモの小さな店で一人ワインを飲みながら演奏を聴きながら、ダンスを見るのが一番でございます。

こちらはボカ地区のもの。

こちらはサン・テルモ