水出の泉

屋上屋の言葉のようですが、そうなってるんだから私にはどうしようもない。
個人的には名前つける時もう少し考えてもよかったんじゃないかしら、と看板を見ながらしばし黙考したんだけど、結局何でもいいや、ということになりました。

泉ですから、地中から水が湧いて出てくるわけです。
そこに「水出の」と追い討ちをかけました。
そのくらい村人にはありがたい存在であったのでした。

また、萩、むつみ村周辺のことを書いております。
ネタがいろいろ豊富なところなんでご勘弁願います。

その水出の泉、むつみ村から車で走ったところにあるんだけど、人に運転してもらっているとどこになにがあるなんてことは全く記憶できない性分なので、正確なことは申し上げられません。
おまけに寝不足で車の中ではガックンガックンしてたので、道案内ができないことをお詫び申し上げます。

山に降った雨が山の中を潜り、この泉に湧き出ているという構図であります。
従いまして、その水は清浄にして可憐。水温も低く、村人たちはそのおいしい水が取り放題。
湧き出たばかりの水をがぶがぶ飲んで、ペットボトルに大量に詰め込んで帰っていく場所として現地では知られております。

私も水は普段から飲みますが、うまい水だ、取り放題だ、と大喜びするような粋な人間ではございません。
そこにもうひとつ何かが加われば、なにがあっても行きたいということになります。

食い物に決まっている。
ラーメンばかりっ食ってる馬鹿者と勘違いしている方も多かろうと存じますが、本来の私は実はキリギリス的な人間で、生野菜が何よりの好物。腹が減ればキュウリをかじっていれば大丈夫。家ではキリギリスオヤジと呼ばれたりもしております。

かよちゃんからこんな話を聞いたのでした。

「あのね、私がよく行く道の駅でクレッソンを買っていたの。そしたら『あんた、そんなに好きなら水出の泉に行きゃあ、なんぼでもあるいね。そこに行きゃあ、取り放題っちゃ』って言われたのよ」
「行ったの?」
「行ったのよ。そしたらもうクレッソンだらけで、どれだけ取っても屁のカッパ。全然減らない」
「今でもあるかね」
「あると思うんだけど」
「行くしかないね」

ということになり、パパが運転する車で直行いたしました。
私は前述の通り寝てたんだけど。

「着いたよ」と起こされてみれば、そこは水が出ているだけに空気もさらに澄んでいるように感じる場所。
ちゃんと神様にもなっていらっしゃる。
かよちゃんが17円ほどお賽銭をお渡ししてました。

「どこにクレッソンが」と小川を覗き込めば、そこに生えているのはクレッソンだけ。

私のクレッソン人生はいつの頃からだろうか。
20代に入ってから?
下関じゃそんないかしたもの食べたことなかったもん。
でかいサラダボウルに一杯でも一人で食べきる自信がある。
おいしいベーコンを炒めて、私の場合は油と一緒にクレッソンにぶっかけ、胡椒を振ったらそのままムシャムシャ食い始める。
クレッソンおいしいよね。
日本ではオランダガラシと呼ばれているんだよ。
ちょっとイメージ違うね。

1870年あたりに在留外国人用の野菜として導入されたんだけど、あいつらがあっちこっちの小川に撒いちゃったもんだから、増えすぎちゃって困るわ、という状態になっているらしい。
要注意外来生物、エイリアンみたいな扱いを受けて、駆除も行われているらしい。
そういう場合は私に知らせてくれれば、駆けつけるのに。

私は泉の中に足を踏み入れるほど冷たい水に耐性がある方じゃないんで、岩の上から、これでもかこれでもか、どんだけ取れば俺は満足なんだ、ということがわからなくなるほど取って取って取りまくった。
しかし、群生しているクレッソンちゃんたちは平気な顔。

これはきりがないね。
若い連中は淡い緑色した柔らかな葉っぱ。でもかじってみると濃厚な味。
成長して葉も茎も少し黒ずんできているのはもっと濃厚。
これを全部さらっていくにはトラックで来なきゃ。

それでも先日の萩・津和野を中心とした集中豪雨でかなりの量のクレッソンは流されてしまったらしい。
冗談にならないのでその被害のことは別の日に書きます。

かよちゃんと目の色変えて取ったクレッソンをその晩、翌晩食いまくり。
これがあれば私はもう何にもいりません、という嘘はもうやめよう。
クレッソンを導入部に持ってきたおかげで調子がついた私とパパは際限ない日本酒地獄へと突き進んだのでありました。

ここが水出の泉。可愛く群れているクレッソンちゃん。

どこにクレッソンがあるんだよ、と思うかもしれないけど、これ全部クレッソン。