汚れなき祈り

映画の話の前に。

4月に入りました。何か心機一転しなきゃ、と焦るんだけど、これといって一転させるものが見当たらない。
あえて上げればあれかな、アルメニアでしばらく暮らす、かな。なかなかどんなところかわからないんだけど、美人が多くて正教とほぼ同様の教義を持つアルメニア教会の信者が圧倒的に多い国、ってとこ?
アルメニアだけでなくてグルジアアゼルバイジャンなんかにも行きたいね。アジアばかりじゃないんだよ、と自分に教えてあげなきゃ。そんなことで心機一転になるのかどうか、人間やってみないとわからない。ひるまず歩を進めましょう。
エイプリルフールじゃないよ。

さて、旧ユーゴスラビアの諸国にも行きたい私だが、「汚れなき祈り」はセルビアと国境を接する国、ルーマニアで2005年に実際に起こった修道院で悪魔憑きだと烙印を押された女性が死亡したという事件をベースに作られている。
若い女性が孤児院で幼なじみだった修道女を訪ねてくる。
彼女は修道院で暮らし始めるが、その閉鎖性に辟易し、外の世界へ出ようと友人に執拗に迫る。
修道女は決心がつかない。
そこから物語はゆっくりとディテールを追いながら展開していく。

オウム真理教が頭に浮かぶ方もいるだろうが、あえていえばあれほど単純ではない。
悪人がいない。「悪意」はどこにも顔を出さない。
ただ、そこには厳格な宗教が存在するだけ。
息苦しい。これが21世紀の世界とは思えない生活である。執拗に修道院内部の様子を映し出す。本当にこんな描写が必要なのか途中から疑問に思えてくる。
「脚本を刈り込むべきだ」という評論家もいる。気持ちはわかるがそれは間違い。ここまで監督が自分自身も追いつめて、この映画は成り立っている。

悪意のない純粋さは得てして底なしの泥沼に人を引きずり込む。
人間が集団になったときに、何を基準にその集団を括っていくのか、その「正義」とはなんなのか。
意地の悪いことをいえば、「会社」という組織にも似たようなところはありますね。

2時間半を超えるこの映画で私は再び深い穴に突き落とされてしまった。
人を試す映画ではないが、観る人間を追いつめる迫力を持っている。

この手の映画を好まない人にはお勧めしないが、私は高得点をつけた。

カトマンズ、ネパール。
ここはヒンドゥー教寺院だが、寺院によっては仏教徒も訪れるところもあり、区分しがたいところがある。