ガングリオン

名前は気持ちいい。
口に出して言ってごらんなさいよ。
なんだか言葉にしてはいけないものを、吐き出したような感じでしょ。
私は「ガングリオン」という音が大好きで、そいつを自分の身体に飼っている。

飼えるたぐいのものではなくて、原因不明でできてしまい、それがどうも私の勘では一生治るようなものではなく、共生することなりそうな、ミョウチキリンな病気である。いや、これ病気ですかね。一応病院に行って手当てしてもらうから病気なのかもしれない。それくらい奇妙なものである。

おかしなものが、と初めて気がついたのは10年位前のことである。手の付け根にくるぶしみたいなところがありますよね。あそこが急に膨らみ始めたんです。左手です。「変なの。何これ?」と放っておいたら、面白いくらい大きくなる。人によっては「ものすごく気持ち悪いくらい大きい」と言う正直な感想を口にするのもいた。

ガンかも知れんなあ、と押してみると、なにやらプヨップヨッした感触。柔らかいんだけどハリがある。例えるならお菓子のグミの柔らかいやつ。そいつが寄生しちゃったのである。生きてるのかも、いきなり中からエイリアンみたいなのが「キキョーエー」とか奇声を上げながら出てきてもおかしくない。
あるいは変な虫が卵を産みつけたか。

そのうち手首をひねると痛くて、なんとなく病気気分が高まってきた。
そのころの私は広告会社をやっていて、まだ初期だったので寝られないくらい忙しく、ちょっと入院できるような病気だとすごく嬉しいと、社員の皆さんにはしゃぎながら、「入院した時はよろしく頼む」と宣言して整形外科へ向かった。

医者はその気持ちの悪いもの見るなり「あ、ガングリオンね」と「あ、ハムスターね」というくらい軽い口調で即座に診断を下し、いきなり両手の親指をふくらみに当て、思いっきりつぶしにかかった。「痛ってー!何すんだこのやろう」。振りほどこうとするがピッタリ医者の両手は私の左手から離れない。「あー!いー!痛ってー!」と口だけ暴れていたら、「はい、つぶれました」で終わってしまった。

「つぶれりゃいいもんですか」
「つぶれればいいんです」
「中に入っていたものはどうなるんですか」
「どこかに行きます」
「死にませんか」
「死にません」
「これでもう終わりですか」
「いや、多分またできます」
「なんで」
「袋が再生して同じものができるんです」
「どうするんですか」
「またつぶします」
「すごく痛いんですけど」
「すぐに痛みは消えます」

「えー、そんなー」じゃん。
入院のつもりだったのに。

その後、医者の見立ては正しく、数ヵ月後にまたできた。
またつぶしにかかった。
しかし、一度破れた膜はこのような事態に備えて、さらに強靭なものに再生している。
「痛てーんだよ。もう、やめれ!どんだけ押してもつぶれんやないか」
「じゃ、注射で抜きますか」
最初からそうすればよかったんと違う?
度肝を抜かれるほどでかい注射針を装填した注射器で迫ってきた。
「痛いかもな」と思ったら。
「おー!うー!」というほど痛かった。
袋の中のゼリー状のものは、簡単に吸いだせるものではなく、袋を押しながら注射器で吸い取るのである。

「これでもう大丈夫ですか」
「いあ、またすぐにできます」
「永遠にこの繰り返しですか」
「手術しないとそうなりますね」
だ・か・ら、最初からそう言ってくれよ。
「次回は手術してください」
「あ、そう」

というわけで、数ヵ月後、部分麻酔で手術をした。
「袋の根本からこそぎ落としますから、音がしますよ」
痛くはないのだが、えらく長い間ゴリゴリと音を立てながら骨を削っている、のではなくて袋をこそいでいる。

「もうできませんか」
「もう根がなくなりましたから、できません」
「入院しましょうか」
「すぐに帰ってかまいません」

という結果になり、入院こそできなかったが、見栄えがよくなった私の手首であった。だれも見てないのだが。

しかし、その医者は甘かった。
3年位前に再発した。
以前よりもグロテスクである。
病院を変えてみた。
やはり、つぶしにかかる。
「一度目はいいんですけど、二度目はつぶせませんよ」
と私から注意を与えておいた。

数ヵ月後、またつぶそうとするのだが、どれだけ医者が力を入れてもつぶれない。
ほらね。
「じゃ、注射で抜きましょう」
まただ。それは痛いんだよな。
ところが、糸川先生はほとんど痛みを感じさせずに見事にゼリーを吸い取った。
「全然痛くありませんでしたよ」
「針の刺し方にもよるんですよね」

手術もダメ。つぶしもダメ。ということで、数ヶ月に一度お注射で抜いてもらっている。
そろそろ抜く時期が来た。

こんな感じになっている。