本田君の教え

地球温暖化の議論については原発事故以来どうなっちゃってるのかわからなくなってきたんですが、いかがな具合でしょうか。先日、萩市の山の中、むつみ村に行った時に聞いたのは「昔は1メートルくらい雪が積もっていたけど、今はそんなことはないから大丈夫」って言っておられました。
私は二酸化炭素悪玉説はなんとなく怪しいとずっと思っているが、爺さん婆さんが「何がいい悪い」抜きにそんなことを言っているのを聞くとやっぱり暖かくなってきているのは本当のようでございます。

小学生の時、私は異端児であった。
親が長ズボンを購入してくれなかった。
「子供は風の子」説を頑迷に信仰していたのであろう。
一年中半ズボンで、みぞれでも雪でも何でもかんでも半ズボン。
学校で高学年ともなると格好をつけ始める。
半ズボンのガキは消えてなくなる。人さらいにあうのである。
母親は嫌がる私にタイツをはかせようとしていたが、それはいくらなんでもだろう。しかも肌色の。おばあさんじゃないんだからさ。
母親のせいばかりにするのは申し訳ないな。
自分でも学校で一人だけ半ズボン少年であることを認識していたので、こうなったら最後まで長ズボンははかないと決めていた。半ズボンの児童会長。ちょっとおかしな奴。

「半ズボンでよーさむーないのー」と驚く連中はまだできがよろしい。寒いに決まってんだろうが。
しかし、その百倍くらい他のガキ共はバカである。私の素足の太腿を面白がって平手でバンバン叩くのである。雪の降る日に太腿をバーンとやられるとたまらなく痛寒い。「やめれー、やめれー」は全くの逆効果。競って叩き始める。いじめじゃない。バカなだけだ。
ま、そのうち叩かれたところが熱を持ってくるので寒さを忘れることもある。世の中悪いことばかりではない。太腿に手形がたくさんつくのは困りもんだが。

そんなわけで、ダウンなんて見たことも聞いたこともなかった時代なので、よれよれのセーターに軽いものを羽織っただけで通学し、授業を受け、運動場で遊ぶ。
寒いときはみんな寒い。「さっむー、さっむー」と言いながらも走り回っていたから、昔のガキはまだ人間になっていなかったとも思える。

そんな時、本田君が嬉しそうな顔をして近づいてきた。
本田君は善人を絵に描いたような人物で、怒った顔を見たことがなかった。今どうしているんだろう。このブログ読んだら連絡くださいね。FBで探せますよ。

「大倉、寒いやろ」
「寒い、寒い。本田はさむーないんかね」
「全然」
「何でかね」
「さむーい、さむーい、ってしよるとき、あんたどうしよるかね」
「さむーい、っていいよる」
「それだけやないんよ。ちょっとさむーいってやってみ」
「さむーい」
「ほら、身体に力いれよるやん。肩がすぼまって全身に硬直しちょる」
「そうやね」
「力ぬいてみ。全身の力。ふーって」
やってみた。
「ふー、あ、さむーなくなった」
「ね、そうやろ。さむー、って力入れるけー寒いんよ。力抜くと、ほら、ふー、全然さむーない」
「本当じゃ。これからはそれでいこう」
「そうしたらえーよ」

またニコニコ顔で去っていった。
力を抜くとと寒くない気はする。だけどその直後にまた寒くなることは言わないでおいたのだが、なかなかの慧眼であった。寒い、寒いと思うから寒い、というのは少しだけ本当である。
力を抜いてみよう。一瞬ゆったりするから。
大人になると冬は肩が凝る。力の入れすぎ。
人生おおむねこんな感じじゃないの。力抜いていこう。

本田君はいつも脱力した姿勢で本当に寒くなさそうだった。

新下関駅のうどん。腰無し、5秒で出してくれるうどん。
私はいつも天麩羅うどんを食べて、続けざまにかけうどんを食べる。心の芯から身体の芯まで暖まる。
これはかけうどん。