遠い怒号

遠いところから怒号が聞こえる。
私を呼んでいるかのような男の怒号が。

昨晩は高円寺ボルボルというペルシャ料理のお店で催された「セファルディ&クルド音楽とアブグーシュクの夜」に出かけたのよ。
セファルディとはアシュケーナージと対比されることの多いヨーロッパ南部に展開したユダヤ人のことを指します。
う〜ん、あまりにもいろんな要素が多くて書ききれないんだけど、素晴らしい女性二人のデュオの演奏に度肝抜かれましたよ。
荻野仁子さんはウードというフレットのないギターのような、リュートのような、琵琶のような楽器をよくまあここまで弾きこなせるもんだと自由に操る。
アユミさんはクルド音楽に取り付かれたダフ奏者。
で、お二人とも歌も歌われる。
スペインの古語ラディノ語、クルド語で歌う歌う。
どのような具合でそんな言葉で歌えるようになったのかお尋ね申し上げたんだけど、「歌っているうちに」ってな感じで、「苦労したんですよ〜」なんてことは全くおっしゃらない。
感動しちゃったんで、売っている本、CDみんな買ってきちゃったよ。

こんなお二人。

しかし、飲んだな。
気がつくとイスラム研究で最近頻繁にテレビに出ている宮田さんが、次々とワインを注文しているので、それに追いつかなきゃと私も頑張るから、いつまでたっても飲み続けている。
ペルシャ料理がおいしいからいくらでも飲めるのよ。

ほぼ毎回顔を合わせる皆さんで記念写真。
こちらは何もしてないんだけど、ちゃっかり私も写ってたりなんかして。

ここまで酔っぱらうと、ラーメンを食いに行く気もなくなり、駅に向かったんだけど、なんと中野で乗り継ぎの際にはすでに私の家方面への最終電車
遠いところだったのね。
ここまでは意識もしっかり。
中野での東西線への乗り換えは同じプラットフォームにして欲しいわ。
階段降りたり登ったりで酔っぱらいの体力は完全に燃焼し尽くしました。

電車に乗って、iPad miniを取り出し、聞いたばかりの楽器のことを調べていたところまではなんとなく覚えているんだけどな。

怒号が聞こえる。
私を深い闇の中から救い上げるような男の怒号が。
あ〜ん?
その怒号は私の隣に座っている男が発していることを確認。
しかし、それは私を呼び起こそうとしているのではなかった。

おっさん、なに騒いでんだよ。
うるさいよ。
で、ここどこよ。
なんだか見覚えのない駅名が私の目の前を過ぎて行く。
ドアも閉まっちゃった。
またかよ。
という状況ではなく、電車内は緊迫している。
おっさんはすいている電車内のある若い男性に向かって怒鳴り散らしている。
何を怒ってんだかさっぱりわからん。
若い女性がついに反撃に出た。
「ここは公共の電車の中です。静かにしてください」
「なにー、お前、日本人じゃねーな。バーカ」
ああ、あんなにいい気分で音楽聴いてきたのに、なにこのバカは。
ペッと唾まで女性に向かって飛ばしている。
さーて、電車の外に引きずり出して、少しかわいがってやるかのう。
しかし、私にはいくつかの問題があった。
1.すんごく酔っぱらっている。
2.殴り合いのけんかをしたことがない。
3.この数日完治していたはずの膝が激烈に痛くて、歩くのも大変。
困ったな。
しかもこれ終電の上に私は完全に乗り過ごしているので、素早くケリをつける必要に迫られている。

気がつくと私は怒鳴り散らしているおっさんの肩を抱き寄せて、「やめとけや」と小さな声でささやいていた。
おっさんびっくり。
初めて私の方を振り返った。
そこにはハゲでヒゲはやした真っ黒な男が。
「あ、すみません」だって。
私はもう一度おっさんの膝を軽く叩いて黙っていた。
なんだかおっさんはすごく恐い思いをしているらしい。
私を何度も振り返り。
「すみません」
「ごめんね」と繰り返す。
ここは沈黙が一番よろしい。

とてもおとなしくなったんで、次の駅で降りて、戻りの電車があるのかないのかわからないプラットフォームへ駆け出した。
駅員がいれば一言言っておくつもりだったんだけど、最終電車が出たあとのホームには全く人影がない。
私がいなくなったあとで、また暴れてなきゃいいんだけど。
あれだけ怖がっていたんで大丈夫だったでしょう。

今朝このことを娘に話したら、「恐い顔しててよかったね」だそうである。
そうかなあ、そんなことないと思うんだけど。

二日酔いであります。