JUDEE SILL

CDショップに行って、店内でかかっている曲に天啓を受けたときのように驚愕したことがおありでしょうか。
私は天啓を受けたことはないけど、驚愕したことはあります。
何度かあったけど、これなんですかと店員さんに聞きに行ったことはなかった。恥ずかしいでしょ。意外かもしれないけど、私にはそういうところがあります。

ロンドンのピカデリーサーカスにあるタワーレコードだったり、HMVに突然変わったりしたCDショップで初めてジュディ・シルの歌声を聞いた。もしかしたら初めてビートルズを聴いたときよりびっくりしたかも。

生まれて初めてカウンターに走ったよ。ためらったら一生後悔すると思った。
何なのよこれは。最近の人かしら。なんて事は一切聞かず、これをくれと頼んでいた。

かなり前のアメリカのシンガーソングライターでした。
1979年に36歳の若さで亡くなっている。

71年、73年にアルバムを出している。そこそこ好評だったようだが、大ヒットとまでは行かず、徐々に忘れられてしまう。74年に3枚目のアルバム用のデモも製作していたが、結局本格的なレコーディングには至らなかった。最近再評価の動きが出てきたせいか、2005年にデモテープをそのままアルバム化したものが発売された。私も買ったが、まあ、記念に持っているべきであろうというものである。

歌声が一点の曇りもないほど澄み切っていて、メロディが思いつかないような変化をするので、抵抗せずに身を任すつもりで聞くのがいい。

彼女の人生は36で閉じられるのだが、英語ウィキペディアによれば曲から想像できないほどの波乱に満ちている。

父親は映画で使われるための変わった動物の輸入業者をしていた。この仕事自体かなり変わっている。理由は不明だが、彼女が若い時に亡くなっている。兄も早いうちに逝ってしまっている。
その後、母親は「トムとジェリー」のアニメーターと結婚したが、荒れた生活だったようで、彼女はその影響をもろに受け、10代で家出し、麻薬に溺れ、犯罪を犯し、服役することになる。
それが幸いし、ヘロイン中毒から脱し、堀の中でキーボード奏法をマスターした。バッハの韻律に強く影響を受けているのは、そのとき得たのかもしれない。

ついでにキリスト教的喜び、贖罪に目覚め、歌詞に強烈に反映されている。

堀の中では色々なことがある。

ここからが不思議なのだが、西海岸でいきなりグラハム・ナッシュとデヴィッド・クロスビーに出会い、前座を勤めたり、タートルズへの楽曲提供が成功して、トントン拍子にアルバムデビューへの路をたどる。よほど才能があったのだろう。27歳でのことである。

最初のシングルはグラハム・ナッシュがプロデュース。恵まれている。
でも、売れなかった。評価が高くても売れないものがたくさんありますね。

売れないと荒れはじめます。
3枚目のアルバムがレコーディングに至らなかったあたりから、再び麻薬に手を出したようで、わずかな期間漫画家として活動していたようだが、人々に忘れられたままドラッグのオーバードーズで人生を閉じた。

こういう才能は死後見出されることになる。
多くのミュージシャンが彼女の曲をカバーしている。
私の好きなFLEET FOXESは「Crayon Angels」をカバーした。

日本でもYOU TUBEを見ると何人も歌ってアップしている。みんなうまい。

2曲聞いてみて。